今日のグルーヴ〈375〉
2020年から、プログラミング教育が必修化される動きがあるが、また英語教育のような失敗を繰り返さないのか懸念される。
これからの国際化の時代、英語は必須である、と言われたものである。その通りである。しかし、理想を華々しく掲げても、成功するとは限らない。実体がなければ絵に描いた餅である。
英語教育、とりわけ会話教育が失敗したのは、そもそも教える先生の殆どの人が会話ができなかったし、会話の授業をしようとしなかったからである。
プログラミング教育は、プログラム言語を書くスキルを育てるのが目的ではなく、「プログラミング的思考」を育てるのが目的であるという。
プログラミング的思考と言うと、何か聞こえはいいが、ではプログラミング思考とは何か、と聞かれたときに答えられる教師がどのくらいるのだろうか。
文部科学省のホームページに掲げられている有識者会議による「小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について」を読んでも、よく分からない。
プログラミング的思考は、これからの時代、IT化の時代、第4次産業革命を迎えるに当たって、とても大切なものであるから重要で必須である、とか、情報技術を手段として使いこなしながら、論理的・創造的に思考して課題を発見・解決し、新たな価値を創造する、といった目的や周辺事情や理想しか読み取れない。
プログラミング的思考とは何かを具体的に分からせてくれる文章は見当たらない。
いくら理想を掲げても、教える先生に、それこそいわゆる“コンピュータ的思考”がなければ、無駄に終わるのではないか。
数学でも、数学的思考、ということがよく言われたものである。しかし、数学的思考というのも、分かったようで分からない言葉である。
どうやら問題の整理の仕方、解き方の工夫等の事を言うらしいが、数学的思考だけで世の中の複雑問題が解決できれば苦労しない。
こういった分かったようで分からない学ぶ理由や理想を漠然と掲げることは、初めは格好良くなされているが、だいたいが意気込みだけで終わってしまうのが常である。
勿論、実力のある先生もいるだろう。しかし、そのような先生に習うことができるのは、極々一部である。殆ど運不運の世界である。楽器の先生も運不運である。
以上の懸念を晴らしてくれる意味で、ITの世界を活用すべきである。ネットのおかげでマスメディアに対して盲目的な信用は取り払われ、私の子供の頃に比べれば、情報の部分で平等の世界を築いてくれて、既得権というものを減じることができたのである。