今日のグルーヴ〈372〉
諸行無常、世代交代は、世の常であるが、将棋の世界も今その時期なのか。
これまで、通算98ものタイトルを獲得してきた羽生三冠が王位のタイトルを菅井七段から奪取された。
これだけたくさんの棋戦を経験しても、羽生三冠は、こうすれば絶対勝てるという方程式は見つからない、と過去に言われていたように思う。
尤も、こうすれば絶対勝てる、というものがあったとしたら、逆につまらなくて誰もやらなくなるだろう。
将棋の対戦は、正に武士が真剣勝負で鎬を削るのとまったく同じであるように思う。心、技、体、揃わなければ、勝負にならないのかもしれない。
その上、ぎりぎりの読みの中で、これぞという手を指し、さらにミスをしないで勝ちきる、というのは、一度は出来ても、五番勝負や七番勝負で勝ち越すのは大変なことに違いない。
天才ばかりの世界で、すべての棋戦に勝つことなど、誰にとっても不可能である中で、勝率をどれだけ上げることができるか。繊細かつ尋常な世界ではないことが改めて察せられる。
カーレースの勝負は、一ミリ単位の繊細な世界で決まる、と以前、ある日本人レーサーから聞いたことがある。あれだけのマシンのパワー、スピードに繊細なコントロールがあってはじめて勝負することができるのだという。
そう言われてみれば、どの世界でも、その点は共通しているに違いないだろう。
例えば、ラグビーは、ワイルドでパワー有りきのスポーツに見えるし、実際そういう部分もあるが、本当に強いチームは、プレイ一つ一つが繊細であるように思えてならない。
野球などその典型かもしれない。ピッチャーのコントロールは、針の穴を通すくらいのものである、と言われるし、ヒットになるかファインプレイになるかは紙一重である。
当然、音楽の世界、演奏の世界に当て嵌めて考えるのであるが、演奏こそ、パワーと繊細さの両輪がないと、話にならないような気がする。
パワーと繊細さというのは、音楽性にも言えるし、テクニックにも言えるし、心の中にも言えるだろう。
この一見相反するように見えるパワーと繊細さというのは、表裏一体のものなのかもしれない。