今日のグルーヴ〈367〉
何かの弾みで、強気になった時というのは、演奏が驚くほど上手くいく、ということを誰もが体験している。
逆に弱気になった時というのは、同じ人間かと思うほど、情けない状態になる。
人々の注目が自分に向かっていない時、案外、強気になり、演奏は実に意欲的になる。
ところが、ソロ等、自分が注目されていると思った瞬間、全てに慎重になり、弱気になり、演奏は無残なものとなる。
しかし、これでは演奏する意味がない。すると、失敗を予防しようとするあまり、演奏をルーティンワーク化し、予定調和を作ろうとする。
しかし、これでは、今度は、演奏を聴く意味がない。
演奏は、静止画ではない。聴衆の人生と同時進行中の動画である。諸行無常にこそ、演奏の目的がある。
否定的な意味でなく、肯定的な意味で、何が起きるか分からないところに演奏の醍醐味がある。
ところで、イタリア人の性格が激しいのは、イタリア人の気質なのかと思っていた。喜ぶときも悲しむときも、かなり大げさな身振り手振りと大きな声で表現するのであるが、これはイタリア人特有の民族性なのかと思っていた。
ところが、ヴァイオリニストのエンリコ・オノフリさん曰く、これは意図的なものであると。
すべて意図的に大げさにやることによって、心の均衡を保つのだという。
つまり、強気も弱気もないのである。全て感情を開放することこそ生きる源であり、演奏の目的でもある。
反対に全ての煩悩を取って取って取りまくるような演奏もありそうだが…。
エンリコ・オノフリさんが言われる、イタリア人の意図的激情の心理学であるが、勿論、そのような哲学もあるに違いないが、それでも、やはり、イタリア人の激情は、殆どイタリア人気質がなせる業のような気がする。