今日のグルーヴ〈365〉
365回めということで、この一年間のグルーヴに関しての洞察をまとめてみたい。
グルーヴは、目に見えたり、耳に聞こえたり、体に伝わってくるものだが、結局は表現の結果であって源ではない。源は、当然ながら頭の中にあるはずである。
体の方から頭に刺激を与える、ということも医学的にはあるようだが、その場合も、体に指令を出すのはやはり頭である。
あらゆるグルーヴの源は頭にあるという前提に立つと、そもそも、聴衆を揺さぶるようなグルーヴを生み出すものは何か。
同じ人間でグルーヴの源に差があるはずはない。誰もがグルーヴをそもそも生まれたときから持っているはずである、という前提で話を展開したい。
とは言え、そもそもグルーヴの存在を知らなければ、グルーヴの発揮のしようがない。
勿論、現にグルーヴの存在を知らなくても、無意識にグルーヴしている人は存在しているのであるが、いつしか、心身ともに若干衰えた場合に、グルーヴの存在を知らないと、対処のしようがない。
ゆえに、この一年で最も言いたかったのは、グルーヴを感性とせず、意図的にテクニックとして意識して活用したい、ということのみである。