今日のグルーヴ〈360〉

伏線を張る、ということは人生は計算づくであるということだ。


計算するという意味で似たような言葉に、あまり良い意味ではないが、釜を掛ける、という言葉もある。


あるいは、含みをもたせる、示唆する、匂わせる、それとなく言う…といった言葉がある。


いずれにしても、このような概念は私が最も苦手とするところである。


高校生の頃、親友に、お前は計算して会話をしないところが良い、と言われて初めて計算して会話をするということがあるのか、と思ったくらいである。


そう言われても、その後も計算して会話をするということは苦手だった。


ただ、相手からは様々な示唆的な言葉をもらったに違いない。しかし気がつかない場合も多々あったに違いない。勿論、すべて気づかないほど鈍くはない。(はずである。)


相手によって言葉遣いに気をつけることは大切であるし、言葉のチョイスはむしろ楽しみではあるが、相手が誰であろうと、お互い計算尽くの会話で有意義な会話ができるとはいまだに思わない。


それは、自らグルーヴをスポイルする行為であるし、そこに新たなグルーヴは生まれない。


計算づくの演奏は予定調和には成功するだろうが、聴く者にとっては分かりきったことなので、心を揺さぶることはできない。


伏線を張って成功するのは、伏線が生き甲斐であり、グルーヴである場合だろうと思う。


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