今日のグルーヴ〈359〉
映画やドラマでは、伏線を張ることが常であるが、イタリア映画は伏線だらけで、しかもその伏線は、すべて女性や家族に対するサービスが根底にあって、イタリアのお父さんと日本のお父さんは、本当に大変である。
例えば、イタリア映画「ライフ・イズ・ビューティフル」は、最初から最後まで伏線しかないのではないか、と思われる勢いである。
ユダヤ系イタリア人のグイドが、一目惚れした女性を徹底的に伏線を張って妻にし、ホロコーストという状況の中でも、妻や子供のために、死の直前まで明るく勇気づける感動的なストーリーである。
主人公が行なうあらゆる伏線は、常に自分以外の人へのサービスなのである。
勿論、頭の下がる思いであり、男はこうでなくてはいけないのであろうが、ここまでやるのがイタリア人男の標準だとしたら、私はイタリア人でなくて良かったという思いだ。
とはいえ、実際の人生にも後から振り返れば、イタリア人のような積極的な伏線ではなく、受け身であるが、伏線というのは、多々ある。
例えば、初めて行った所にも関わらず、何か他とは印象が違って心に残ったりすると、後々、その場所へ毎日通うことになったりする。
あるいは、高校生の頃、道を歩きながら、遠くに見える大学を見て、この大学には行かないだろうな、と毎日思っていたら、結局、そこへ行くことになったりする。
毎日、何気なく見ているものは潜在意識に残り、後々の人生に関わってきたりするのである。
あるいは、何かに打ち込んでいたりすると、それが勉強であろうと遊びであろうと、後々、その打ち込んだことが、何らかの形で生きてくるということもある。
何気なく聴いたコンサートが、その後の一生を左右するということもある。
あるいは、楽曲を分析すれば、伏線だらけであるし、作曲そのものも、伏線を張る作業のような気がする。
ゆえに、人生イコール伏線、と言ってみたい。
伏線だけ集めて眺めてみれば、人生には最初から筋書きがあるのではないか、と思いたくなるくらいなのである。
ゆえに伏線もグルーヴである、と言ってみたい。