今日のグルーヴ〈358〉

高校二年の息子の吹奏楽コンクールは早々に終わったが、コンクールは勝ち負けであるから、勝ちに拘るのであれば、勝つ方法をとらなければ勝てない。


逆に言えば、現状にあった勝てる方法をとれば、どこの楽団でも、楽器の経験年数が短くても、簡単に勝てる、ということである。


世界的な奏者やオリンピックの選手のような特別な才能がなくても、誰でも勝つ喜びを味わうことができるのである。


ただし、指導者は優れていなければならない。指導者と楽員との差があればあるほど、楽団は伸びる。


しかし、ここで最も難しい問題は、楽員は指導者の言いなりにならなければならないことである。異なった考え方や、自己主張する人がいては、コンクールで勝つことは難しい。


善し悪しは別にして、気持ちのベクトルの方向性が一致しないままコンクールに参加しても、結局は妥協の連続、消化不良になってしまうだろう。


ゆえに、内心はどうあれ、見かけ上、最も“統率”がとれている団体が勝つのである。


しかしながら、ここに芸術といった概念はない。芸術とコンクールとは全く相容れにくいものである。また、ズレを認めない吹奏楽にグルーヴは生まれにくい。


審査する側の意識も変わることも、吹奏楽コンクールが今後音楽的に成長するために必要なことなのではないか。


グルーヴを感じないままで終わってしまったら、楽器を続ける人はいなくなるだろう。

現に、学校を出た後、楽器を続ける人は一気に減少する。


コンクールに勝つことに成功しても、その後、楽器を放棄すれば、吹奏楽やコンクールは青春の一ページの思い出に過ぎなくなるのである。


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