今日のグルーヴ〈356〉
ふと思った。アーティストとアーティストでない人との違いとは何か。
アーティストでない人は、どんなに楽器が上手くてもアーティストではない。
楽器が上手な人はたくさんいる。でもそれだけではアーティストではない。
アーティストは、誰かより上手いとか下手とか、そのような対象にはならない。比較の対象になった時点で、アーティストではないのではないか。
楽器を巧みに弾くことと、その人でなければできないものを作ることとは別である。楽器が上手かろうが、それが人に与える印象は、アーティストが人に与える強烈な印象とは別ものである。
そもそもアーティストは、音楽でなくても、他の分野においてもアーティストであるに違いない。つまり、形態がなんであろうと、生まれ持ったものを持って表現する人であるから、楽器でなかったとしても、何かしら発信する道を選びだすだろう。
そして、発信するものは、えっ!と思わせる何かを必ずもっている。
つまりアーティストとは、唯一無二な新しい価値観を作る人であり、誰かの追随ではない。
つまり、アーティストとは、今までの価値観を壊して、新しい価値観を創造する人。そしていつしか、それが定番になるのである。
アーティストでない人が、はちゃめちゃなことをやっても定番にはならない。
名前が残っている人は、やはり新しいことをやった人。
結局はそういうものだけが残っていく。
自分が新たに創造したものでないと意味がない。同じものをアーティストよりも綺麗につくったとしても評価されないだろう。
その人しか作り得ないものを作る人がアーティスト。
ゆえに誰にでもなれるものではない。それは分野に関係なく共通している。
だから教えてアーティストを作ることはできないし、アーティストは誰かに作られるものではない。そもそもアーティストは教えられるものではない。何故なら表現というのは、その人固有のものであるから。
個性は教えられない。
本当は基礎のところしか教えられない。
決まり切ったことは教えられる。
インスピレーションをもらうのは有りだろう。
それを元に何かを作っていけた人がアーティスト。本人が意識する必要もないくらい自然になっていくのがアーティスト。
誰がなんと言おうと、私はこう弾きたい、その思いに突き動かされて表現しなければ、それは本物ではない。
いくら学者が理論を言っても、そこに感動がなければ、芸術ではない。学問に理論はあっても、芸術を受け取る聴衆に理論は関係ない。
結果的にアウトプットされたものに感動がなければ意味がない。
芸術であるかないかは、普遍的な感動を伴うかどうか、その一点に尽きる。
何が芸術かというのは、本当のところ分からない。でもおそらく常識や定義を越えたところに芸術はあるのだろう。