今日のグルーヴ〈353〉
本音と建前を使い分けるのは、日本人の特性と言われる。
本音と建て前を使い分けてきたからこそ、日本人は、生き延びる術を見つけたのであろう。
ただ、本音と建て前を使い分けることは、自分に嘘をつくことになるわけで、自分に嘘をついてまで、建前を言い続けることは、いつかは破綻を来たすだろう。
比較的使い分けられるのは、間違った本音と正しい建前である(はずである)。良心に従っていれば、間違った本音は言わないだろう。
ところが、正しい本音と間違った建前を使い分けなければならなくなると、論理的、精神的にはいつか破綻を来たす。
政治家の発言が失言として頻繁に話題になるが、この場合の失言とは間違った本音を言ってしまうことなのではないか。失言のレベルとしては、低い次元である。
しかるに政治家の正しい本音まで失言として扱われるのは疑問である。
そうすると政治家は発言に慎重になる。正しいことを主張するのも慎重になってしまう。
政治家が正しい本音を言って責められるとしたら、何の為に存在しているのか、ということになりかねない。議決の時の一票のためだけの存在だとしたら、誰がなっても同じである。
政治家のアイデンティティはどこにあるのか。