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今日のグルーヴ〈345〉

よく様式とか様式美といったことが言われるが、これが案外分かったようで分からない概念なのではないか。


例えば、バロック音楽、古典派の音楽、ロココ風、ロマン派、国民楽派などと言われるが、この言葉と様式とは、今のところ無関係ではないように思える。


ハイドンは古典派の音楽、ベートーヴェンは古典派とロマン派にまたがった音楽、ヴァーグナーはロマン派、などと学校の音楽教室の壁に貼ってあったが、いったい何を根拠にそのようなレッテルを貼るのだろうか。

後生の人間達が勝手に音楽史を作っただけであって、本人達は、そんな事を意識して作曲していたのだろうか。


勿論、生きていた時代に影響されるということはあるだろう。当然、古典派の時代に、ロック音楽が誕生するわけがないわけで、その意味では、時代を反映しているということはあるだろう。


しかし、作曲家にとって、後生の人間に大きく一括りずつ括られるのは本意ではないように思えてならない。自分の音楽は自分の音楽、ロマン派という言葉に括られるほど単純ではない、と主張するに違いない。


そして、この無意味な音楽の歴史的な分け方から、どういうわけか、様式というものがいつの間にか発生しているのである。


しかし、様式とは何か。その音楽を特徴づける統一的な表現形式であるという。

さらに分からなくなる説明である。


特徴づける統一的な表現形式というものがあったとして、自分の音楽をそのような言葉で一括りにされるのも作曲家にとっては不本意なのではないか。また特徴づける統一的な表現形式というのを具体的に説明してほしい、と言われて説明できるものなのだろうか。音楽を説明できるのは、音楽そのものでしかできないのではないか。


とはいえ、クラシック音楽界には、なんとなく、様式というものがあるようである。しかも演奏家の多くは、その様式に縛られている。しかも様式を尊重していることを自負している人達からみれば、彼らの言う様式から少しでも外れていたら、それは非難の対象となる。


しかし仮にそのような様式なるものがあったとして、常に様式にとらわれて演奏して何が楽しいのだろうか。それは、様式の繰り返しでしかなく、仮に常にそれが快感であったとしたら、それは、自己満足を得る為の行為、つまりマスターベーションに過ぎない。それでもいい、という人もいるが。


様式というのは、表現の結果であって、最初から様式というものがあるわけではない、と私は言ってみたい。

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