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今日のグルーヴ〈344〉

アルファでありオメガであるもの。


例えば、白米は、竈炊きが一番美味しいが、これは準備も後片付けも大変である。

現代の炊飯器は、何しろ便利である。炊き加減もかなり研究されているが、しかし味は竈炊きには敵わない。

まさに竈炊きは、白米の究極の炊く方法としてアルファでありオメガである。


電気剃刀にしようが、四枚刃にしようが五枚刃にしようが、散髪屋の剃刀の剃り味に敵う剃刀はない(と私は実感する)。


モダン・ボウを開発したトルテの弓が、いまだに最高峰の弓である。


SPレコードの音が、いまだに一番生々しい(雑音は別にして)


コンピュータのキーボードの配列は、結局は、タイプライターの配列であるQWERTY配列が残った。


ところで、今、若い人達では、キーボードの入力よりも、スマホでの入力、おそらくフリック入力の方が主であるという。

私もフリック入力をするし、とても便利で重宝しているが、しっかりと文章を書いたりまとめたりするときは、キーボードを使う。


何故なら、打鍵のスピードがまるで違うし、全部で十本の指を使って打つことは、脳やぼけ防止にもいいと言われているし、実際そうであると思うからだ。


また、気合いを入れて文章を書くときに、キーボードでないと、気合いが空回りするのである。


それはともかく、パソコンが普及しだした時代、キーボードが打てないと、一気に時代遅れになったものだ。

そして時代は流れ、今度はスマホでの入力が主流になるのだろうか。私はそうは思えない。勿論、スマホでの入力もできないといけないが、基本はキーボードにあると思っている。おそらく、いくらフリック入力を速く打てたとしても、パソコンのキーボードの打鍵のスピードには敵わないだろう。


キーボード離れが進んでいるということは、パソコン離れも進んでいるということだが、これはかなり深刻な問題なのではないか。しかし、パソコン離れを作り出したのは、パソコンの先人達であるとも言えないだろうか。これは昔から言ってきたことだが、タッチ・タイピング(ブラインド・タッチ)を徹底させなかったことが、パソコン離れを生み出したに違いないと私は思っている。


タッチ・タイピングで打たなかったら、それはパソコンは逆に面倒だろう。私が、曲がりなりにもパソコンを使い続けることができたのは、タッチ・タイピングを教えてくれた恩人が運良くいたからである。やり方は簡単である。一週間、キーボードを見ないことを我慢できた人はできる。


小学校でも導入されているパソコンであるが、タッチ・タイピングを教えているところを聞いたことが無い。おそらく、教える先生自身ができない、ということもあるのだろう。また小学校の低学年では、ローマ字をまだ習っていないために、ローマ字入力を教えていないという。だったら、中途半端に教えないで欲しい。むしろ何も教えてないでほしい。


しかし、そもそも、タッチ・タイピングの普及に共鳴してくれる人は、ほとんどいない。それどころか、それをやるとパソコン嫌いになるから、止めた方がいい、という意見まであるくらいだ。


これは皆軽んじているが、日本の将来にとって由々しき問題である。あらゆる作業が遅くなるだろう。タッチ・タイピングは九九と同じく必須のものであると言いたい。










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