今日のグルーヴ〈342〉
原発から出る核のゴミが捨てられる“適地”の地図が、ニュースで流されていたが、それを見て、慄然とした。
火山地帯以外、ほぼ、日本全国の海岸地帯が挙げられている。
私が住んでいる所も例外ではない。
核のゴミは、地下三百メートルに数万年に亘って、密閉しないといけないらしい。
しかし、どこを掘っても、温泉が出るような日本で、というか、マグマのある地球で、それは無理ではないか、無謀ではないか、もしかしたら暴挙なのではないか、と思えてならない。
仮にそのような施設ができたとして、果たして、ずっと安全なのか、どこかから漏れるのではないか、疑心暗鬼でしかない。素人考えではあるが、素人を納得させられなければいけないのではないか。
核の施設がある自治体では、その見返りに、国からの補助金がある。ゆえに、今、一見、裕福に見える。しかし、その地域の学校施設には、ヨウ素剤が備えられているらしい。そのような事をしなければならないという一点で、原発はやってはいけない行為だったのではないか。福島第一原発を見て、恐ろしくならないのだろうか。
あの当時、当初、手に負えなくて、ヘリコプターから水をかけるという決死の作業が行なわれていた。勿論、決死の作業をされた方々には感謝しかない。問題は科学万能の時代と思いきや、原発が暴走すると、あのような行為でしか対処できなかったというこのギャップである。唖然とした。
少なくとも、核のゴミの問題が解決されていない点で、原発はやってはいけないものだったのではないか。核の平和的利用と理想を掲げても、それは絵に描いた餅でしかなかったとしか思えない。
犠牲になるのは大人ではない。子供、孫、そして未来の人達である。
1000年に一度の大津波で、甚大な被害が出るのである。
原発やそれに関連する施設の事故は、僅か数十年の間にいったいいくつあったのか。
オペラ『ドクター・アトミック』では、核がもたらす甚大な被害に、開発した科学者が倫理的責任に苦しむ姿を表現している。核の開発が戦争を無意味にすると思いきや、戦争の兵器に使われてしまったのである。同様に原発の稼働が人間の生活を豊かにすると思いきや、破滅に追い込みかねないのである。