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今日のグルーヴ〈340〉

哲学者の土屋賢二先生は、よっぽど悲惨な状況でなければ、それは奇跡的に恵まれたことなのだ、と言われていた。


毎日のように、事故で怪我をしたり亡くなったりした人のニュースを聞く。昨日までは元気だった人が、そのようなことになるわけである。


病気であるならばある程度の覚悟する時間はあるかもしれないが、不慮の事故では、不条理、理不尽としか言い様がない。


自分もいつ不慮の事故に遭遇するかもしれないと考えると、本当に生きているだけで、奇跡的に恵まれたことなのだと思う。


しかし、人間というのは、現状に慣れると、欲が出てくる。生きているだけで恵まれているでは満足せず、もっと豊かな生活がしたくなるとか、もっと出世したいとか、もっと有名になりたいとか、覇権を持ちたいとか、際限なく欲が出てくる。


万物の霊長と言われる人間であるならば、崇高であるべきなのだろうが、現実はそうはならない。


動物は、例えば、死期を悟ると、自ら死地に赴くらしい。人間は万物の霊長であるにも関わらず、そこまでの覚悟があるようには思えない。


この点で、人間は動物に劣るのではないか。ただし、人間は生まれ方はともかく、死に方が選べないわけで、その事自体がすでに不条理、理不尽な気がする。


そのような宿命を持った人間同士が、何故、争い、戦争をするのか。


困っているにも関わらず、それに対して慈悲の心を持たず、更に追い込むようなことをするからである。第二次世界大戦の発端そのものである。


しかも、一旦、戦争が始まれば、どこまでも酷いことになる。利権争いが、最終的には、原爆になるのである。そこまで行き着かないと、つまり破滅しないと収束しないのである。


それは、人間個人だけの話ではなく、国家もやらかしてしまうのである。


しかし、たとえ収束したとしても、悟ったわけではない。悟っていたら、いまだに同じ事を人間も国も繰り返したりはしないだろう。

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