今日のグルーヴ〈339〉
誰もが持っているグルーヴであるが、同じグルーヴというのは、人間の顔が全員違うがごとく、無い。
しかし、全く違うグルーヴを持っている同士が、アンサンブルをすると、まったく新たなグルーヴが作られる。ここにアンサンブルの醍醐味があり、アンサンブルをする意義があるに違いない。
もし、新たなグルーヴが生み出されないのだとしたら、誰かのグルーヴに合わせようとしているからなのではないか、と想像している。
アンサンブルの目的は、ぴったり合わせることにあるのではない。グルーヴを生み出すことにある。だが誰かに合わせるというやり方では、グルーヴは生み出されない。
交通整理をしようとするやり方では、グルーヴは生み出されないし、そもそも、ぴったりのアンサンブルですらない。グルーヴを闘わせるところに、グルーヴは生み出され、結果として、ぴったりのアンサンブルなのである。
ぴったりのアンサンブルは目的では無い。結果である。
グルーヴは、まさに生きるエネルギーであると同時に目的でもある。
アンサンブル全員に積極性があるところにグルーヴが生み出され、聴衆もグルーヴの醍醐味に共感を覚えるのである。
なんだかんだ言っても、クラシック人口よりロック人口が多いのは、このグルーヴの違いに違いない。
もともとは現代音楽の歴史であるクラシックにグルーヴがないはずはない。
しかし、クラシック音楽が権威となり、敷居が高いと思わせた瞬間に、グルーヴは消滅する。