今日のグルーヴ〈326〉

子供の頃から、これからは情報化時代と盛んに学校内外で言われたものだが、現在も情報化時代と呼べるのか。そもそも情報化時代という言葉自体に手垢がついているような気がしてならない。


当時(1970年代~80年代)、社会や学校の先生が盛んに言っていたことは、情報の取捨選択である。すでに情報が溢れた時代であったが故に、いかに情報を取捨選択するかが鍵である、といったようなことが盛んに言われていた。


情報は、ほとんどがテレビ、ラジオから流れてくるものと、紙媒体(新聞、雑誌、本、書類やリーフレット等)からのものだった。


テレビやラジオから流れてくる情報は、自分というフィルターを通して、残る情報は勝手に残っていくだろうし、興味のないものは、右から左へと消えていく。


ゆえに、情報の取捨選択というのは、極端に言えば、どの書類を残し、どの書類を捨てるか、の作業に他ならなかった。極端な場合、紙媒体をスクラップするような行為もあった。


大ベストセラーだった梅棹忠夫氏の「知的生産の技術」では、情報をカード化(京大式カード)する方法も紹介された。この考え方は正にデータベースに引き継がれているし、同書では、現代のコンピュータのフォルダやファイルの概念に相当するような画期的な考え方もたくさん紹介されていた。


当時、パソコンが登場する前であった。紙で処理することには限界があり、とても現代のようなビッグデータを扱うことは無理で、今から思えば、これで情報化時代と呼べたのだろうか。


私が小学生や中学生の頃、コンピュータは大型コンピュータしかなく、パソコンが一般化したのは、社会人になってしばらく経ってから、1980年代の後半からである。そして一瞬のパソコン通信の時代を経て、インターネットの時代となった。情報の民主化の時代がここでようやくはじめて始まったように思う。


ネット社会からダダ漏れのように流れてくる情報から、何に興味を持ち、モチベーションを維持し、どのように検索していくか。検索する力、これこそが情報化時代の本来の行為であるように思う。


ゆえに教育は、詰め込み教育は無駄であることを認識し、まずは検索力を育てることに力を注ぐべきである。


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