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今日のグルーヴ〈322〉

AI時代に人間は何をするのか。


AI時代には、蓄積の勉強は無駄になるという。


我々の今までの勉強は、小中高大、ほぼ蓄積の勉強と言えるかもしれない。AI時代になると、そのような勉強は無駄になるという。


確かに、今でも、ちょっとでも分からない事が出てきたら、ほぼ全てネットで調べることができる。


私の想像では、加減乗除と九九とひらがな、カタカナ、常用漢字、アルファベットくらいを教え、パソコンの使い方を手ほどきをし、世の中の学問のコンテンツを紹介してあげて、スマホを与えておけば、あとは、放っておいても、子供達は自ら勉強していくのではないか。


学校は、教室は、詰め込み教育をする場ではなく、それこそ欧米の教室のような討論の場、議論の場にしていった方がいいのではないだろうか。


考えてみれば、あのような狭い空間に育ち盛りの子供達を押し込め、詰め込み教育をすれば、その枠に嵌まりきらない人間が出てくるのは無理も無い。


スマホの使い方がいろいろ取りざたされているが、スマホは、教室に全員が持ち込むべきである。スマホの持っていない子は、学校が提供すべきである。


クラスの人数が30~40名もいたら、全員が均等に手を挙げたり、発言したりするのは無理である。


しかし、スマホで発言はできる。それをまとめるソフトもある。すでに、そういうことをしている学校もあるらしい。


スマホを持ち込むと、遊ぶ子がいる、という懸念は、スマホを持ち込まなくても遊ぶ子はいるのである、という事実によって、まったく意味をなさなくなる。


それより、スマホを持ち込むことのメリットの大きさを大人は知った方がいい。


新しいものに対して大人は、何でも禁止したがるが、そもそも大人が使い方を知らないだけである。知らないから、という理由で、禁止するのは、実に乱暴な話である。


理不尽なこと、不条理な事は昔からあった。


例えば、私が小中学生の頃、体育の授業で、水を飲むことは厳禁だった。今はどうか。水を飲まないと、大変なことになる、と言われ、水分を取りなさい、と言われる。まるで逆ではないか。


喉が渇いたら、水を飲むのは、当たり前ではないか。体が欲しているのである。それをわけのわからない根性主義か何か知らないが、水を厳禁にしていじめやしごきのような事をして、それがいったい何の教育になるのか。


と、今頃、恨み辛みを言っても後の祭りだが、何の根拠も無く、新しいもの、知らないものを否定してはいけない、特に教育の場では、ということを言いたいのである。


学校は、詰め込み教育をするところではない。勉強や学問を紹介するところである。そして、先生の使命は、生徒のモチベーションを育てることにある。

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