今日のグルーヴ〈316〉
日本人は、時々、ドラスティックな選択をするが、そこが良いところでもあり、危ないところでもある。
驕る平家は久しからず。日本人は、傲る者を叩く。外交とか経済といった国運に関わる問題で業績を上げたとしても、思わぬところで、足をすくわれるのが、日本の常である。
なおかつ、原発、共謀罪、憲法改正と続けば、さすがに国民は立ち止まって考えるのでは無いか。些末的な事件は、ドラスティックな選択の理由ではない。きっかけに過ぎない。
しかし、投票率も50パーセントを少し超えたくらいでは、投票しないことも、意思表示のひとつなのかもしれないが、半分近くの人が、国民主権を自ら放棄していることにならないだろうか。
かつてある首相は、選挙後に、日本人のバランス感覚は絶妙なものがある、といった主旨の事を言っていた。
当時、議席を増やすために、大きな理由も無く、解散して選挙をしたのであるが、議席が増えるどころか、大幅に減らしてしまったのである。
数の力で物事を決めるのは野蛮だと先日書いたが、数の力が最も有効に働くのは、驕る平家を叩く時である。
国民ひとりひとりが意志を示し、それを遂行することが唯一できるのが選挙である。
その機会を生かさないのは、日本人としてどうなのか。
投票したい人がいない、という話もあるが、そこまで言えるほど立候補者を研究しているのだろうか。私はしていない。
有権者の大多数が投票した結果であるならば、国民は、結果が求めたものとは異なっていても、納得せざるを得ないのではないか。国民主権を放棄してはならない。
かといって、国民主権は強制されるべきものでもない。ゆえに、ここに日本人の民度がかかっているのである。