今日のグルーヴ〈314〉
中学の頃、点数と勝負にこだわる授業を展開する先生がいた。
初めて、この先生が発した言葉は、「去年、これまでで最高点の3776点が出た生徒がいてね、感動したねぇ。今年も期待しているからね」
私は最初いったい何を言っているのか分からなかったが、授業が始まって唖然とした。
昔、中学や高校の先生が持っている手帳のようなものを閻魔帳と言っていたものだ。閻魔帳には、生徒ごとに点数の集計が書いてあるのだが、普通、定期テストの点数だけが書いてあるものだ。だがこの先生の閻魔帳には、普段の授業での“点数”も書いてあるのだ。
まず、授業で先生が問いを発する。だいたい簡単な問いである。この先生の授業は問いだけで成り立っていると言っても良いくらいである。先生の問いに答えられた者は、即座にその場で、閻魔帳に10点とか20点とか書き加えられるのである。授業態度が悪いと、マイナス点が書き加えられる。
先生の問いにできるだけたくさん答えることが、この学科で良い成績を取る方法である、ということに気づくのに時間はかからない。
生徒達はこぞって手を挙げ、先生に指名されようとする。しかし、指名できるのは一問につき一名だけである。ここで、先生は、実に巧妙な方法を用いた。すなわち、ジャンケン、という方法を用いたのである。
ジャンケン・トーナメントが一問ごとに開催されるのである。先生は、不正が無いように、そこかしこでジャッジメントをなさっていた。
その授業が終わる頃には、生徒はぜいぜい言いながら、体育の授業以上の疲労感、もしくは徒労感に襲われたものだ。
学期末、先生は、膨大な計算に明け暮れるのである。その当時にExcelがあれば、先生の負担は減じたであろう。
私は、そこで悟った。ジャンケンに強い人間が、つまり勝負に強い人間が良い成績をとるのだと。
社会に出ても同じようなものであることは、その後知ることになる。
民主主義というのは、響きは良いが、多数決というのは、真の民主主義と言えるのだろうか。数の力で物事を決める、というのは、実に乱暴な方法なのではないだろうか。
ジャンケンで成績を決めるのと、何が違うのか、何も変わらない。どちらも野蛮という点で共通しているではないか。
では、政治判断、決断は、何によって決めるのか。
それこそ、AIに決めてもらったらどうなのか。
どうせ、人間同士の争い、国同士の争い、民族間の争い、宗教上の争いは、無くならないし、人間同士では解決できないだろう。それは、歴史が証明している。ならば、人間以外で決めてもらうしかないのではないか。
本来ならば、人間以上の存在である神に決めてもらうべきなのかもしれないが、そもそもその神が原因で争ったりしているのである。どの神を採用するかで新たな争いが起きるだろうから、話にならない。
ここは、AIに登場してもらうしかないのではないか。それこそ蛮行? シニカルにこういう事を言っている、と思われるかもしれないが、今のところ、他に思いつかないのである。
おそらく、人間が決めるより確率は良いだろうし、占いに頼る国家元首よりかは、はるかにましなのでは無いかと思ってしまうのである。
人間がコンピュータに支配される、というのはかつては絵空事であったが、現実のものになる可能性が出てきたように思えてならない。
さぁ、人間はどうするべきなのか。