今日のグルーヴ〈308〉
メトロノーム、チューナーの使い方を間違えると、グルーヴが破壊される。
吹奏楽の世界では、金科玉条の如く、テンポが走ってはいけない、アインザッツを正確に、縦の線と横の線を合わせて、と指導者から言われ、メトロノームやオルガンやチューナーを駆使して練習するが、これは、アマチュアの楽団が、演奏レベルの高くない奏者のために、交通整理の窮余の策として用いたのであって、これらに頼り切ることは、人間である演奏者のグルーヴを失うことになると私は思えてならない。
これらの機械は、目安としては便利であるし、活用すべきものであるが、頼り切ると、つまり、トレーニングのためのツールにしてしまったら、最も重要で大切な人間らしさやグルーヴが、失われていくだろう。
具体的に言えば、人間の自然の理として、テンポというは、動くもの、総じて速くなっていくものであるが、吹奏楽の練習では、それは絶対に許されない。少しでも速くなろうものなら、『速い、走るな!』と注意されるのである。
吹奏楽の指導は、4つの言葉でできる。
すなわち『速い!』『遅い!』『高い!』『低い!』
これらの機械をめいっぱい使うということは、指導者にとって、あるいは指揮者にとって、楽員は誰でもいいのである。個性はいらないのである。むしろ邪魔なのである。極端に言えば、正確無比であれば、人間でなくてもいいのである。
実際、私が学生の頃、吹奏楽における演奏者は、“兵隊”なのだ、と公言していた先輩がいた。そうすると、一応、見かけは立派な演奏にはなる。
確かに吹奏楽の起源は、軍楽隊のようなところがあるから、あながち兵隊である、というのは間違いではないかもしれない。
しかし、それゆえに、吹奏楽は、テンポが動きにくい。テンポを揺らすことが困難なのである。
尤も、であるから、そもそも行進曲(マーチ)に向いている音楽形態ではあるのだが。
しかし、かつて、私が尊敬するある東京の大学の吹奏楽団は、礼儀、挨拶、規律等に厳しいところは、確かに軍隊調ではあったが、彼らの演奏には、心を打つ個性、音楽性があった。
何故なら礼儀、挨拶、規律は学生が自ら求めたものであって、指導者や指揮者が強制したものではなかったのである。自ら求めたものにグルーヴが生まれるのは自然の理である。