今日のグルーヴ〈300〉
金管楽器は木管のようなリードは無いが、言ってみれば唇がリードの代わりになっている。木管楽器は充実した音を出すために、リードを作ったり削ったりする段階があるが、金管楽器にはその段階がない。
木管楽器、とりわけ、二枚リードのオーボエやファゴットでは、リードを作る作業のために膨大な時間を割かなければならない。金管楽器は、言わば唇がリードなのであるが、金管楽器はリードを作る作業はいらないのだから、その分、唇作り、つまり唇をリードのようにするために、時間を割いてもいいはずである。
唇づくりとはどのようなことをするのか。ただ一つ、ゴムのように強靱かつ柔軟にすることである。
金管楽器もウォーミングアップと言われるものはあるが、そのウォーミングアップの仕方は人様々である。いくつか、それらしきメソードもあるが、それらはリード作りに相当する唇づくりには、私の実感では不十分である。
何故、唇づくりをしないのか。それをしないで金管楽器を吹くことは、荒削りのリードで木管楽器を吹くようなものではないのか。
前の晩、コンサートで吹いたとしても、翌朝、起きたとき、唇自体は、初心者の唇に戻っている。言い換えれば、昨晩の絶好調のリードも、翌日には、作り直さないといけないような状態になるのである。
その点、木管楽器のリードは運が良ければ、長持ちするが、金管楽器の唇は、一日限りなのである。
しかし、睡眠や休息でリセットされるけれども、だからこそ、唇は、消耗品である木管楽器のリードのように摩耗せず、長い年月に亘って吹き続けることができるのである。こんな経済的なリードを大切にしなければ罰が当たるというものだ。
さて、その唇づくりであるが、私の場合、ペダルトーンを十二分に吹くことである。ペダルトーンというのは、その楽器が物理的に鳴るはずの音域よりさらに低い音の事である。この音域の音を出すには、唇がほぼ完璧に脱力されていないと鳴らない。その脱力された状態でペダルトーンを吹き続けることによって、唇はマッサージされ、柔軟になる。つまり、木管楽器のリードのようになるわけである。
ペダルトーンを吹くことは、これまでにもされている。しかし、それはあくまで、疲れて固くなった唇を気休め程度にマッサージする程度のものである。
また、ペダルトーンを活用するメソードもあるが、これには賛否両論がある。時間もかかる。
音楽の素養がある程度あれば、リコーダーのような楽器であれば、とりあえず、すぐに音は出るし、運指を覚えれば、メロディを吹くことはできる。
金管楽器も、唇づくりさえできれば、同じようにすぐに音は出る、という考え方である。その後の成長はひとえにこの楽器を吹く前の唇づくり、にかかっていると言っても過言ではない。
手っ取り早く、恐れず最初からペダルトーンを出す。アンブシュアに依存せず、とにかく出しやすいペダルトーンを出す。出れば即それがマッサージになり、強靱かつ柔軟な唇づくりそのものになるのである。5分も吹けば十分である。ある程度、金管楽器が吹ける人にとって、5分後は、未知の世界のはずである。