今日のグルーヴ〈295〉

毎日、様々な事故で、怪我したり亡くなったりしたりする人々のことをニュースで知ると、こうして生きていることは、奇跡的に恵まれたことなのだなぁと、つくづく思う。


いくら気をつけていても、どうしようもない事故などを見ると、世の中のたいていの不条理は、普通のことなのだ、と思えてきてしまう。


昔、あるヴァイオリンの先生が、一日を振り返って、三つ困ったことがあったなぁと思ったら、今日は普通の日だったなぁと思い、五つ困ったことがあったら、今日はちょっと多かったなぁ、と思うようにしている、と言われていた。


若い頃、よく演奏の本番前に、緊張したり、あがったりしたものだが、ある演奏家仲間が、自分があがりだしたのを感じたら、普通の状態になったと思っている、と言っていた。


また、ある仲間が、緊張しだしたけど、どうしたらいいか、と舞台袖で聞かれて、とっさに世界のホームラン王の王さんがテレビで言っていたことを思い出して言ったことがある。「プレッシャーは楽しむものだよ」と偉そうに言ったが、それは自分に言い聞かせていたに過ぎない。


このような考え方は、ともすると自分を見失いそうになる時に、多少の慰めにはなる。


しかし、根本的な解決にはならないかもしれない。


そこで、古今東西の哲学者たちは、心の問題を、ああでもないこうでもないと、考え始めた。


しかし、哲学者たちの言葉は難しく何を言っているのか、そもそも分からないことが多々ある。


アリストテレスを理解するのに十数年かかったとかいった話を聞くと、まるで実用的でない。むしろ、宗教の世界に近いのではないか。


哲学の問題の全ては、言葉の誤解によるもので、言葉を正確に理解すれば、哲学上の問題は、全て解消するという、ヴィトゲンシュタインの考え方が私には、至極現実味を帯びているように思える。


この全ては誤解であるという考え方は、哲学だけでなく、世の中の全ての領域で、応用できるのではないか。


政治、経済、宗教、学問、生活、芸術、紛争‥


演奏前にあがったのは、誤解である。演奏でヘロヘロになったとしても、それも誤解である。聴衆の反応がイマイチでも、それは聴衆の誤解がもたらしたものである。


喧嘩も戦争もイデオロギーの対立も誤解がもたらしたものである。


全ては、自分が誤解しているか、相手が誤解しているか、どちらも誤解しているかである。





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