今日のグルーヴ〈294〉

紙の地図の需要が、スマホの普及のために、相当落ち込んでいるらしい。


確かに、紙を拡げて場所を確認するよりも、世界中を見ることができ、しかもGPS機能のついているスマホやコンピュータの地図の方が実用的であるから、どうしても需要は傾いてしまうだろう。


紙の地図は、使えば使うほど、情報が古くなるし、また折り目から破れてばらばらになってしまうことが多々ある。


対して、グーグルマップやグーグルアースなどのソフトは、常に進化している。古くならない。ここがITの世界の魅力のひとつである。


かつて、百科事典というのは、一家の憧れであったが、買った瞬間から、いや、刷り上がった瞬間から、最新情報の価値という観点から見ると、劣化していく宿命を持つ。


ゆえに、それを補足するような現代の言葉の辞典というものが、毎年発行されてきたが、これは、検索が大変であるし、辞典がそういう物であるという点を考慮しても、大多数が必要でない情報である。


電子書籍の醍醐味は、いったん完成しても、そこから育てることができる、進化させることができるところにある。というか、進化あってこその電子書籍である。そして、欲しいデータを一瞬にして得られる便利さがある。


勿論、紙の書籍も、改訂という手段はある。しかし、必ず改訂できるとも限らない。刷り上がった瞬間から紙のクオリティも情報も、劣化していく宿命である。しかも、誤植を発見したら、ずっとその誤植と付き合わなければならないというストレスを抱えてしまう。


それは楽曲のスコアにも言える。スコアやパート譜がすべて完璧かいうと、とんでもない。完璧でないものが多数ある。スコアやパート譜というのは、そんなにたくさん売れるものではないから、いったん刷ったら、当分の間、その刷ったものが使われることになる。印刷ミスが分かっても、当分直しようがないのである。


ゆえに誰それ作曲の交響曲第何番の第何楽章の何小節めにはこういうミスがある、ということは、演奏者の間では、共通の認識となっているのである。音符のミスだけではない。楽章の順番を間違えている楽曲もある。


まず、スコアとパート譜の間違い探し、寸法合わせのようなところからリハーサルは始まる。


ゆえに、演奏する時は、紙の楽譜であっても、元データがデジタルデータでないと大変である。


今や作曲家や編曲家もだんだんとコンピュータソフトを使って作・編曲してきている時代だが、ソフトでないと、修正が大変である。


ところで、ミスがすべて無くなったとしても、そもそも楽曲に完成というものがあるのだろうか。かつて、ゴジラで有名な伊福部昭先生に、楽曲が完成したときの気分は? と聞いたことがある。伊福部先生は、「完成して一週間くらいは、満ち足りた気分だが、それを過ぎると、あそこはこうすべきだったとか、ああしたい、と思い出し始める」と言われていた。


楽曲に、もっと言えば、芸術一般、絵画や彫刻など、芸術と言われるものすべてに、完成という概念はないのではないか、と思えてならない。


実際、完成体をどんどん変えていく作曲家もいた。ブルックナーはその典型で、ハース版とかノヴァーク版とかがあったり、弟子が改訂したりして、ここまで行くと訳が分からなくなる。


そしてともすると、どれが決定版なのか、ということを考えがちだが、決定版が一つでなければならない理由はないと思う。それぞれの版を楽しめばいいだけである。


柔軟な考え方を持たれる作曲は、作曲家の手を離れたら、演奏者によって、楽曲を育てて欲しいし、自由に演奏して欲しいと言われる。


ならば、スコアに手直し、と言うと語弊があるから、スコアを進化させることは有りだと思う。


その時に、デジタルデータだと、作業がしやすくなるだろう。紙データだったら、そもそも進化させようという気にすらならないのではないか。


ただし、これらの行為は、著作権という大変難しい問題と隣り合わせであるから、その点は気をつけたい。


矛盾しているようだが、とはいえ、紙の地図は一応残しておいて欲しい。


というのは、私は市販されている地図や学校で使われる地図帳が子供の頃から好きだったからだ。ただ眺めているだけで満足したものだ。旅行で初めて行ったところを後から地図で眺めるのが趣味であるし、また、初めて行くところを想像するのも楽しいからだ。


グーグルマップやグーグルアースで世界中を旅行しているような気分にさせられるのも魅力だが、愛着のある地図は、想像をたくましくさせてくれる。

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