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今日のグルーヴ〈292〉

忖度は、古今東西、常にあったはずである。というか、人と人とのコミュニケーションは、直接的な言葉ではなくて、ほとんど忖度で成り立っているのではないか。


今年の流行語大賞は、忖度でほとんど決まりのような気がする。


新語ではない言葉が流行語になるということは、人間の根源的な本質が、その年の事件によって、クローズアップされ、見直され、向き合わされ、尚且つ、世情の象徴を教えられるようで、つまり神は、毎年、なんらかの課題をくださるようで興味深い。


しかし、忖度したはいいが、それが誤解だったら話は混迷をきわめる。


忖度にもいろいろな度合いがあると思うが、いずれにしても直接的な言葉が残らないから、言った言わない、という議論にすらならない。


人間から忖度をなくすことは殺伐とした世の中になるようで、好ましいとは思えないが、できるだけ忖度しない方が、お互い楽なのではないか。


例えば、お笑い芸人は、一般の人が忖度して言わない言葉をむしろあえて言うことによって、ユーモア、グルーヴを生み、そんなに気にすることではないのだよ、と言ってくれているようで、だから人気があるのだろう。


忖度にとらわれないことが、グルーヴの源の一つのように思えてならない。


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