今日のグルーヴ〈290〉
小学校6年の娘が演っているヒップホップ系のジャズ・ダンスを見た。グルーヴを主張しているにも関わらず、私自身、踊りと名のつくものは小学校のころ踊った阿波踊り以来、思い出せない。
娘の踊りを見ていると、私の遺伝子を受け継いでいるとは思えない。きっと妻の遺伝子なのだろう。ひと安心した。
我が家族にグルーヴの体現者がいたことに喜び、灯台もと暗しとはこのことかと思った。
昔、『わらび座』で、民舞を見て、日本には凄いエネルギーと躍動感に満ちた音楽と踊りとがあることに、感動を覚えた。その頃、グルーヴという言葉を知らなかった。
日本の伝統楽器と西洋楽器とで演奏するロックバンド『六三四Musashi』は、卓越した奏者によって、和と西とを見事にマッチさせていた。グルーヴは世界共通であると思った。
県警音楽隊のドリルを見たときも血が騒いだ。私は学生時代パレードはやったことがあるが、ドリルはやったとしても様にならないだろう。
学生時代、パレードやドリルのプロの方に指導を受けたことがある。その方は、背が高く、足も長く、ステップも美しく、何をやっても格好良く美しく、いま思えばグルーヴ感満載だった。
その方は何故か私にばかり指導を集中的にされたが、私では見本にならない。もっと他に格好良くて、足の長い仲間がいるのだから、その人にやって欲しいと思ったものだ。
我ながら、グルーヴを主張するのであれば、曲がりなりにも、グルーヴを身につける術を、自ら体現すべきであろう。トランペットは別である。トランペットはグルーヴを表現する場ではあるが、グルーヴを身につけるものはもっと他にある。
人それぞれに向いた方法があるはずだ。踊りは最も直接的な方法であろう。さて、私には何があるのだろうか。演奏史上に残る、世紀のトランペット奏者、モーリス・アンドレは、本番前の3時間の散歩を習慣にしていたそうだ。
3時間の散歩は無理だが、現在、どこへ行くのも、できるだけ歩くようにしている。先日、子供に教えられて、iPhoneにヘルスケアという万歩計のアプリが元々あることを教えられた。
まったく開けたことも無かったのだが、持っているだけで歩数が記録されているのである。見て驚いた。ほぼ毎日1万歩は越えていて嬉しかった。また歩いた距離や、登った階段の階数もある。
そのアプリ付属の動画によると、座っている時間を減らすことによって、歩数は上がるらしい。人間の体は動くためにできているのだという。体を動かしてさえいれば、ジムに行く必要もないという。
書くと当たり前過ぎて、陳腐だが大切なことに違いない。
ということでグルーヴ感満載の音楽を聴きながら歩く。これが私のグルーヴ養成法の一つである。