今日のグルーヴ〈288〉
ある一定期間が経つと、データが自然に消去されるというシステムがあるらしい。
ものを捨てられない性格の私にとってはこういうシステムは、有り難い。ヴァーチャルな世界だけでなく、リアルな世界でも、自然に消去してくれる装置があったら有り難い。
一向に部屋の中は片付かないし、本の整理もできない。
しかしもし、すべてがデータならば、捨てなくてすむのではないか、という希望も捨てがたい。
子供の頃からのテスト、作文、感想文、日記、論文、教科書、読んだ本、すべてデータにする。こうすれば、すべては残り、捨てなくてすむ。
実際、FacebookとかTwitterには、自分の書いたものが残っているようだが、どこまで残っているのだろうか。
ところで、以前は考えたこともなかったが、書いた本人が死んだあと、このデータはどうなるのだろうか。
作家の中には、人に読まれることを前提に日記を書く人もいるそうだが、一般の人はどうなのだろう。
いわゆる日記というものをほとんど書いたことがないのだが、日記にはけっこう赤裸々なことも書かれているのではないだろうか。そういう日記は皆どうするのだろう。
捨てて良い、あるいは捨てたいデータと、捨てなくて良いというデータとの区分けは難しい。
個人情報に関わるデータは、自然に消去されるシステムが便利かもしれない。
反対に、公文書と言われるものは、国民に開示しなくてはいけないから、捨ててはいけないデータなのではないだろうか。