今日のグルーヴ〈284〉
公文書管理法によると、保存期間一年未満の書類がある、ということを知って驚いた。
紙の書類だとかさばるから廃棄処分というのは分かるが、電子データがかさばることがあるのだろうか。問題があるとしたら、サーバーやハードディスク等の容量の問題なのかもしれない。電子データも“かさばる”という表現が可能なのかもしれない。
その点、我が家は、物持ちが良い。いや、良すぎる。以前、家の中を掃除していたら、先の大戦(太平洋戦争)のときに発行された食券が出てきて驚いたことがある。母が大事に持っていたものだ。また、母の遺品の中には、昭和30年代の新聞を使った着物の型紙があった。
いくら何でも物持ちが良すぎるのではないか、と思ったが、食券には歴史の重みを感じた。
新聞にはちょうど当時のテレビ番組欄があったので、どんなテレビをやっていたのかを見たら、ララミー牧場とかボナンザとか、ローンレンジャーとか夢で会いましょうとか、ちろりん村とか、なんだか懐かしい番組がやたらあった。当時民放にもオーケストラ番組がたくさんあった。
テレビ欄には、黒柳徹子さん、中村メイコさんの名前が頻繁に出てきていた。お二人はテレビ黎明期から現在に至るまでずっと活躍されているわけで国民栄誉賞ものである。
捨てられない性分は、私にもあって、本棚には中学生の頃の教科書がある。教科書というのは、特に歴史の教科書は読むのに大変に時間がかかる。一字一句完璧に読んだという記憶がないので、どうしても捨てられない。また、大学時代の英語の教科書も同様の理由で捨てられない。しかも眺めているだけでも気分がいいのである。
大学時代の先生で「本はとにかく集めなさい、すぐに読まなくても古本でもいいから買いなさい、いつか読むから」と言われる方がいた。本は読むものではなく集めるものなのである。
いま思えば、まだ、パソコンやネットの無い時代だったわけで、先生はとにかく資料を集めなさい、ということを言いたかったのではないかと思う。
で、実際に読んだかというと、読んだ本もあれば、いまだに読んでない本もある。しかし手近にある、ということが大切なのである。
本棚を見るだけで、本棚の持ち主の興味の傾向や、勉強してきたことや、性格も分かるような気がする。
ゆえに本棚は人に見られることを意識して創るべきである。決して二段重ねにしたり、物置になってはいけない。
しかし、ネットの時代になって、あらゆるものはネットに陳列されている。自分なりの書棚を創ることもできるが、家の本棚が無くなれば、ひと目、その家の住人の性格を判断することは不可能である。
それでも、ペーパーレス化した部屋というのは、きっと美しいだろう。本のホコリをはらう必要も無ければ、縛ってゴミ出しする必要もない。
ただ、心配なのは、電子化された文献や書類やデータが、消えてしまわないか、ということだ。CDは100年もつということを聞いたことがある。ということは、未来永劫残るかどうか、保証されていないということである。確実な方法はあるのだろうか。いずれにしても現代の遺産として、何らかの方法で残す方法を考えなければならない。