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今日のグルーヴ〈275〉

世の中の哲学の問題は、言葉の定義の誤解からもたらされる、だから、定義を正確に把握することによって、すべて解消される…というヴィトゲンシュタインの哲学を、世の中の問題に応用することができないだろうか。


それによって、世の中の問題もある程度解消されるのであれば、哲学は、特にヴィトゲンシュタインの哲学は、限界や壁を打ち破るためには大変に有効なものであるだろう。


例えば、一向に解決されない「受動喫煙対策」の問題。

最近、ベランダ喫煙による受動喫煙の問題も表面化した。


世界の動向に敏感であり、文化も科学もすぐに取り入れ、新たな高みへと昇華させる機敏さを持つ日本だが、こと受動喫煙に関しては、世界からかなり遅れをとっている。


全面禁煙を反対している議員自身が喫煙者であるから、というのが定説らしい。国民の健康を守るべき国会議員が反対しているのだから、どうにもならない。


ところで、受動喫煙の意味は、喫煙者が吐きだした煙を発生源とする有害物質を含んだたばこ煙を喫煙していない人が吸入すること。また、カーテンや壁に付着したたばこの有害物質の吸入(三次喫煙)や、喫煙者の喫煙後の呼吸から出される有害物質の吸入も含まれる。


WHOによれば、職場の受動喫煙によって毎年世界でおよそ20万人の労働者の命が奪われていて、厚労省によれば、日本では毎年1万5千人が亡くなっている。世界の人口が70億人で、日本のが1億3千万人。日本では受動喫煙で亡くなる人が、人口比で言えば、世界より多い、ということだ。


また受動喫煙が害を及ぼすことは医学界では様々な証拠が出されており、また米国公衆衛生長官のレポートでは、議論の余地はない、とされているそうだ。さらに厚労省では、建物内では、分煙によっても、受動喫煙をなくすことは不可能であるとされている。


分煙という言葉自体が怪しいのである。つまり、定義が曖昧な言葉を議論しても無駄である。


嗜好品対人権の問題となれば、どちらが優先されるのか。

嗜好品を楽しむ基本的人権は、どうなるのか、という反論もある。

嗜好品を楽しむ基本的人権も尊重されるべきであると思う。


しかし、非喫煙者は、受動喫煙症にはなりたくないし、受動喫煙が引き起こす障害に、乳幼児の突然死、肺の発育遅延、小児喘息があると聞いたら、恐れをなすし、喘息にも、アレルギー性鼻炎にも、心筋梗塞にも、ガンにも、鬱にもなりたくないのである。


ゆえに、喫煙者の方は、一切の煙を周りに出さないために、例えば、防音室のような喫煙室等で楽しむ等の方法を考えていただきたい。


なにより、お互いの人権は尊重されなければならない。

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