今日のグルーヴ〈262〉
ラヴェルの『左手の為のピアノ協奏曲』は、第一次世界大戦で右手を失ったピアニスト、パウル・ヴィトゲンシュタインの為に書かれた作品であるが、パウルの弟が哲学者のルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインであることを最近知った。
ヴィトゲンシュタインのことは、哲学者の土屋賢二先生から教わった。ヴィトゲンシュタインの哲学は、前期と後期に分かれる。
前期では、哲学上の問題は、言葉の定義に帰着する、と主張し、後期では、そもそも言葉の定義が皆に共通しているのかがあやしい、元々意味があるのではなく、我々は言葉を使って遊んでいて、意味はその都度作っていく、という『言語ゲーム』という思想を展開した。
土屋先生によれば、例えば「人間、いかに生きるべきか」というテーマは、哲学の問題として考えることは意味がないことなのだそうだ。
個人個人が、自分の人生をいかに生きるべきかを考えることは勿論ありだが、人間全体のテーマとして普遍的な答えを求めることは、そもそも、人間は何故8本足なのか、という問題が無意味であるのと同じくらい無意味なのだそうだ。
そもそも現代の哲学は、哲学的問題は、すべて無意味である、答えることはできない、ということを、証明する学問であるらしい。
哲学的問題は、言葉を間違って使うから発生するのだという。
哲学的問題は解決するのではなく、解消するもの、ということだそうだ。
そう言われてみれば、言葉を間違って使ったために発生する問題は、哲学だけではないような気がする。
世の中の問題は、ことごとく言葉を間違って使っているからか、あるいは誤解から、発生しているような気がする。例えば、国家間の争い、戦争は、言葉の誤解、あるいは、言語ゲームが原因の一つではないだろうか。