今日のグルーヴ〈241〉
世の中には、あらゆる分野で評論家、コメンテーターが存在しているが、彼らの役割とは何であろうか。
19世紀後半から20世紀末くらいまで紙媒体や新聞が全盛だった時代、評論家とかつてのメディアとは相性が良い。評論家の舞台は紙媒体のメディアであり、メディアにとっては、評論家の意見や文章が重要なコンテンツの一つであった。
評論家によるメディアを通しての紹介、これが大きな役割であり、重要な行為であった。それはそれで重要な役割であった。しかし、単に紹介ではなく評論になり、それが大きな影響を与えたところに、問題があるように思えてならない。しかるに現代において、評論は必要なのであろうか。
ところで、メディアが多様化するにつれ、微妙に評論家から、コメンテーターに移行しているように思える。評論家がその道の専門家ではないのに対して、コメンテーターは、その道の専門家であったりする。しかしその道の話であればまだしも、専門以外のコメントまでするために、浅薄なものになりかねない。
自分で自分の考えを持つ事自体面倒な人にとっては、評論家やコメンテーターの話は有り難いだろう。しかし評論家やコメンテーターの話に飽き飽きしている人もいるのである。しかも、話が浅薄で、事実と多少異なることを見抜いてしまったら、評論家やコメンテーターの話に多少懐疑的にならざるを得ない。
であるから、評論や意見は求めない。正確な紹介だけで十分である。