今日のグルーヴ〈238〉
ピアノをはじめとした鍵盤楽器は一応、叩けば音が鳴る。勿論、そういう楽器ほど、いい音をつくることが難しいことは分かる。
一方で、管楽器や弦楽器は、吹けば鳴る、弾けば鳴る、というものではない。音を出すところからして難しい。
ただし、こういう楽器ほど、楽器が“喜ぶ”鳴らし方を究めたら、極めて説得力のある音になるのである。
ゆえに、その鳴らし方をつかんだら、いきなり上手くなる。いい鳴らし方というのは、長年月かけて少しずつ習得するものではない。いきなりつかむものである。
ゆえに何か音に納得がいかないとしたら、そもそも自分の理想を実現するための奏法ではない、ということになる。
そうでないと、卓越した奏者とそうでない奏者との差が説明つかない。同じ時期に楽器を始めたにも関わらず、達人とそうでない人とに分かれる理由の説明がつかない。
つまり、卓越した奏者は、長い期間をかけて上手くなるのではなく、いきなり上手くなるのである。
そのためには、既存のメソードを使っていてはなかなか上手くいかないことも多い。印刷されたメソードは信用されやすいが、自分に合ったものとは限らない。
他にふさわしいメソードがなかったから使われてきた、ということも考えられる。ゆえに自分でメソードを作ることが必要になるのである。
卓越した奏者はたまたま使ったメソードが合っていたか、自分で多少なりとも創意工夫したものを作っていたか、どちらかに違いない。
実際、自分でメソードを作ったという名ヴァイオリニストに会ったことがある。
楽器の世界は、いまだに昔の体育会系に近い慣習の名残がある。スパルタ式に、しごきのようなレッスンを受け、ひたすら時間をかけて練習したりするが、練習している本人は、実はさほど頭を使っていないことに気づいていないことが多い(私だ)。
いつか上手くなる日を夢見て、時間をかけて練習していても上手くはならない。
玉木宏樹先生は、いつも「頭を使え」と言われていた。
例として、この間から、トランペットを例にして話を展開しているが、管楽器、特に木管楽器は、フルートは別にして、ほとんどリードが音の命である。そもそもリードを削るところから始まるのである。良いリードを常時作ることのできる人は非常に有利であろう。
金管楽器の場合、リードにあたる部分は、唇である。歌口に当たる部分は歯である。歯の状態が良くなければ、諦めるのは一つの道だが、方法はある。
それはともかく唇の状態の善し悪しが、音色、音域、繊細さ、パワーに繋がる。ゆえに唇をいついかなるときも良い状態に短時間で持って行く奏法、メソードが必要なのである。