今日のグルーヴ〈234〉

コード進行もグルーヴを生み出す要素の一つである、と言ってみたい。哲学者の土屋賢二先生は、あらゆる事象を洞察されてきた方だが、音楽も例外ではない。


例えば、ある和音から別の和音へ行くとき(コード進行)に、快感を覚えることに興味を覚え、独学で、様々なコードやコード進行を作り、あとから和声学を繙いたところ、大方ご自身が作られたコード進行が網羅されていたという。


この方法は時間がかかるが、しかし、本当の意味でコード進行の意味や快感を味わう上で、最も正しいやり方であろうと思う。土屋先生のピアノ・アドリブは、プロも顔負けの最高のグルーブ感で進行していく。


音楽に限らず、あらゆる事象を洞察する。そして、その洞察を下に、新たなものをクリエイトする。この行為にこそ、人間にとって最もグルーヴィーな営みであるように思えてならない。


この行為、つまりアドリブである。


クラシック演奏家の多くは、アドリブができない、と公言するが、これは、演奏家として最も大切なものを自らできないと言っているに等しくはないだろうか。


アドリブといっても様々ある。フェイクのようなものもアドリブと言ってみたいし、もっと言えば演奏中に新たな解釈を展開していくのもアドリブであると言ってみたい。


楽譜に縛られた演奏は、聴いていてすぐ分かる。そのような演奏を聴きたいとは思わない。


楽譜はあくまでもメモである、と思った方が音楽の本来のあり方として正しいのではないか。


感情や思いを歌や演奏に託す。それは大編成のシンフォニーでも同じ事であると思いたい。


作曲家の代弁者? 作曲家はそのようなものを求めているのだろうか。

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