今日のグルーヴ〈230〉
人生には様々な興味の対象があるが、その中から、ごくごく絞って単純化すると、私の場合、文章とトランペットということになる。
実に大雑把であるが、そこから編集やオーケストラ、音楽へと興味が繋がっていったのだろうと思う。
勿論、子供の頃から、あるいは学生時代からそういう計画や図式があったわけでなく、結果としてそうなっていた、という方が近い。
しかし、この最も興味のある二つが、いまだに満足できないのはどういうわけなのか。
文章に関しては、推敲ができるからなのか、我ながら真剣さが感じられないのである。
トランペットに関しては、やり直しができないからなのか、真剣すぎて自爆(ミス)するのである。これは私だけの問題だろうか。
どちらもテクニックの問題も当然あるが、メンタルの部分が大きいのではないだろうか。
世界で最もミスをしないトランペッターと言われたアドルフ・ハーセス自身、ミスをしない人はいない、と言っていた。しかし、彼の場合、ミスしても傷は浅い。
成層圏トランペッターと言われたメイナード・ファーガソンは、ミスを気にしていたら、生きていけない、と言っていた。
日本では車にしても電化製品にしても、欧米よりは実に細かいところまで工夫や注意の行き渡ったものが多いと思うが、何故、その仕上がりの良さが、トランペットの演奏(特に私)に現われないのであろうか。
おそらく、計算できるもの関しては、根気強い日本人ならば、高めて行くことは得意なのだろう。
演奏という、不確定要素に関しては、日本人(特に私)はメンタルな部分で弱い。
しかし、それだけだろうか。やはり、間違った(あるいは合理的でない)テクニックがまだ蔓延っているのではないだろうか。
何人もの欧米の方々の楽器奏者、そして日本の卓越した奏者に会って話を伺った経験から思うのは、楽器、音楽に関しては、彼らはパワーと繊細さ、そして合理的な奏法が両立していた。偏見でなく、実感として、身体が大きい人、指の太い人、ごついイメージの人は、テクニックもメンタルも繊細であり、パワーもあり、頭脳も明晰であった。
今日もグルーヴィーな一日を!