今日のグルーヴ〈214〉
グルーヴを生み出す間(ま)について
漫才やトークの名人芸を見ていると、ネタやテーマもさることながら、笑いやノリをもたらす間(ま)というものに尋常ではないものを感じる。
ネタやテーマがそこそこでも、間次第で笑いを生み出すからである。
これこそ間がもたらす笑いのグルーヴであり、トークのグルーヴである。
これに対して、演奏家は漫才師ほど、間というものに対して頓着していないような気がしてならない。しかし、音楽にとって、間もグルーヴを生み出す源である、と言いたい。
楽譜上の休符とは、間であったり、大見得を切る前の為、であったりするはずだ。
また楽譜上には表記できない間というものもあるはずだ。
演奏家は、音を出してなんぼ、と思うせいか、音を出さない休符や間というものに、執着するどころか、むしろ罪悪感を感じている人もいるのではないか、とさえ思ってしまう。
休符は音がない時間帯というよりも、間であると考えた方が音楽的である。ゆえに休符を間として感じていれば、場合によっては休符でも音が鳴っている、あるいは余韻が鳴っていても、それはオッケー、という場合も多々あるだろう。
先日も書いたように、ベートーヴェン(彼に限らないが)の作品は、休符(間)がグルーヴを生み出している。
今日もグルーヴィーな一日を