今日のグルーヴ〈212〉
グルーヴと神、宇宙
昨日の「今日のグルーヴ〈211〉」を読まれた方は、グルーヴに神は関係ない、と私が書いているように思われたかもしれない。実際、楽器の上手い神というのは、何か考えにくいし、グルーヴ感満点の神様というのもイメージしづらい。
いわゆる一般的にイメージされている神には、確かにグルーヴをイメージしづらいかもしれない。
私はこの宇宙自体がグルーヴそのものであるように思うのである。さらに、この宇宙そのものを神と考えるならば、神にグルーヴは当然ながらある。
宇宙がグルーヴであるなら、そもそも誰にでもグルーヴはあるはずものである。ただ、本来持っているはずのグルーヴを何らかの事情や環境その他の要因によって上手く発現されていない場合が多々あるのではないか。
1970年の大阪国際万国博のテーマであった「人類の進歩と調和」。あれから50年が経とうとしているのに、いまだに人類の大きな課題である。進歩はしたけれど、あまりにも文明が複雑になりすぎて、あらゆる世界で、人間の耐えうる許容範囲を超えていて、挙げ句の果てにグルーヴがスポイルされてしまう危険性が高いと思えてならない。
しかし、自然なグルーヴの回復には、意図的なグルーヴは、言わば特効薬になりうると私は考える。
まずは、グルーヴの存在を意図的に意識することが第一歩。そして着地点は他のテクニックと同様、意識の無意識化を図ることである。
今日もグルーヴィーな一日を!