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今日のグルーヴ〈211〉

グルーヴ感満載の作曲家ベートーヴェン

あらゆる楽曲の音楽的要素であるグルーヴではあるが、クラシックで簡単にグルーヴ感を感じる作曲家には誰がいるかと探していたら、灯台もと暗し。ベートーヴェンがいた。


ベートーヴェンは、学校の音楽教室では、古典派とロマン派に跨がった位置に肖像が掲げられているが、全く無意味である。

彼は最もモダンな作曲家に違いない。つまり、あらゆる時代、未来永劫、生き続ける作曲家であると思う。


ただベートーヴェンが好きではないという人も多い。私もそうなりかけた。何故だろうと考えるに、それはやはり演奏のせいであろうと思う。楽聖ベートーヴェンという畏敬の念がそうさせるのか、あるいは演奏のマンネリがそうさせるのか、グルーヴ感のない演奏に毒されていた可能性もある。


グルーヴを意識して演奏したら、ベートーヴェンほどロックな作曲家はいないのではないか。九つの交響曲、とりわけ第九は、最初から最後までロックである。『運命』の冒頭もそうだが、第4楽章の冒頭、アウフタクトで始めるというのも、作曲上、故意にズレを造り、そのことによってズレのグルーヴを生み出したのではないか、と思えてならない。最後のPrestissimoなど、ノリのグルーヴによるロックそのものである。


交響曲8番の第2楽章はメトロノームをもじって作曲されたことは有名だが、こういうところもベートーヴェンの意外なユーモア性を感じる。彼がメトロノームに興味を持ったこと自体興味深い。この交響曲自体、冗談音楽のようなウィットに富んだ作品だと思うが、この作品を小難しく演奏してはならない。


交響曲第7番もノリノリの作品だが、これも舞踏の聖化、などと言ったりしている。何故、何でもかんでも神化させないと気が済まないのだろう。人間ベートーヴェンでいいではないか。


クラシックとか歴史上の大作曲家だとか、崇め奉るのは自由だが、そのために音楽の本質を見失ってはいけない。

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