今日のグルーヴ〈207〉

歯にものが挟まったような言い方しかできないが、音楽というのは、権威とは本来関係ないものであるはずだが、かつて日本のクラシック音楽の世界では、何かにつけて、権威が見え隠れし匂いがしていて、その名残は今もあるように思えてならない。

明治期、日本語の言文一致運動が、小説家や文学者ら民間人によって行なわれたのに対し、クラシック音楽の普及が政治主導で行なわれたことが遠因となっているような気がしてならない。

信長から秀吉の時代の場合、茶道が政治の権威に利用された。現代では、例えばショスタコーヴィチが政治と無縁ではいられなかった。クラシックが権威付けの最も説得力のあるブランドであることは否めない。

日本でも我々の知らないところで気づかないところで、クラシックが政治に利用されているのかもしれないが、そもそも政治に関係なく、クラシックの世界そのものが選民意識を植え付け、権威になり得るのである。

それがクラシックの本当の意味での普及を妨げている。私が何故ネット時代に期待しているのか。それは一部の人間だけにしか伝わらなかった知らなかったクラシックの旨みが、誰でも知ることができ、不条理とたたかう環境が整ったからである。

今日もグルーヴィーな一日を!

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