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今日のグルーヴ〈204〉

グルーヴに関して、いろいろな事を書いたが、そもそも何故グルーヴ(ノリ、躍動感、波動、ズレ)のことを書いているかというと、クラシック演奏家の9割以上の人々が、グルーヴを意識していないからである。

グルーヴは、広義に考えれば、音楽だけでなく、あらゆる世界、自然界に存在していると私は思う。地球が公転し、自転していることからしてグルーヴである。

音楽は、グルーヴこそ命である。音楽=グルーヴ。

何故、若者は昔から、ロックのコンサートへ行き、クラシックのコンサートへ行かないのか。それは、グルーヴ感が感じられないからだろう。眠いコンサートには行かない。

そもそもあのハイフェッツでさえ、お客様に眠って欲しくないからと言って、テンポを速めにしているのである。テンポを速くすることがグルーヴにつながるとは限らないが、ハイフェッツの場合、結果、グルーヴ感満点の演奏になっているのである。グルーヴが勇気を与え、バラードが心を癒やす。

そう思うと、グルーヴを意識しない人は、何のために音楽をやっているのか、というところまで問いたくなるのである。

元々ロックの方の言葉であるから、耳に入ってこないのかもしれない。私もそうであった。またグルーヴという概念を知っても、他人事のように思う人も多いに違いない。私もそうであった。

ただ、クラシック演奏家の方々でも、ポップスやジャズ、ロック等の世界に興味を持っている方は、とっくの昔に、グルーヴの世界を表現しているのである。

私は何年かして、突如として、グルーヴが腑に落ちたのである。実に飲み込みが遅いが腑に落ちないよりかはましだったかもしれない。一生の中で、突如として腑に落ちることが何回かあったが、その中でも、グルーヴは最大最高のカルチャー・ショックかもしれない。

ただ、そもそも生まれつきグルーヴ感を持っている人にとっては、当たり前のことであって、今更何言っているのだ、ということになるのだが、前述のように、日本のクラシック演奏家の多くが、グルーヴ感を元々持っていないか、意識していないかであるから、書く意義があると思っている。

ただ、元々は、日本の民謡を聴けば分かるように日本にもグルーヴは当然ながら存在しているのである。それが、間違ったクラシック教育の弊害で、グルーヴを一時的に見失っているのである。

グルーヴは感性と言われるかもしれないが、私はメソード化、あるいはトレーニングで、音楽表現上のテクニックの一つにすれば、誰にでも会得できるものだと思っている。

今日もグルーヴィーな一日を!

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