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今日のグルーヴ〈183〉

ある程度、満足のいく演奏法を習得したとして、その次には、やはり聴く人に感動を与える演奏をしたい。自分でなくてはならない演奏をしたい。


自分でなくてはならない演奏とは何を持って言うのだろう。超絶技巧の様なテクニックも一つの方法であるが、ここはやはり歌心で感動してもらいたい。


しかし結論から言えば、歌心もテクニックである、と言いたい。


なぜなら、手応えのある音色を実感したならば、つまり、その楽器自体が持つ本来の音が、自分というフィルターを通して出ていると実感したならば、あとは、楽器が教えてくれるからである。その点からも歌心はテクニックである。


あとは、自分なりに味付けをするわけだが、こここそテクニックである。


歌心は、音楽性とか人間性とかよく言われるが、では、聖人君子であれば、歌うことができるのか。恐らくつまらない演奏なのではないか。


人間性はまるで関係ない。


醜い心を持っているからこそ、尊い演奏をするかもしれないのである。


歌心を客観的に分析せず、主観的に表現したら、それは押し付けがましい独りよがりのものになるのがオチである。


誤解してはならないのは、だからと言って、どんどん削っていく様な演奏をしては当初の目的である歌うことから離れてしまう。


歌うにはテクニックが必要である。自分の心は、情感に満たされてはいけない、むしろ冷徹でなければならない。


楽器演奏に純粋に感動したければ、人の演奏を聴いた方がいい。自己の演奏に感動してはならない。


演奏者は、自分の演奏に感動してくれる人を見て感動するのである。


今日もグルーヴィーな一日を。

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