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今日のグルーヴ〈175〉

私は元々音楽が好きだったから、学校の音楽の授業も、嫌な言い方だが、嫌いではなかった。しかし、周りのほとんどの友人、先輩、後輩含めて、学校の音楽の授業が好きだと言った人はひとりもいなかった。


理由はひとこと、つまらなかったからである。その原因を調べていったら、明治時代の音楽取調掛あたりまで行くかもしれない。


日本には独自の音楽があり、それにはグルーヴがあったはずである。民謡は正にグルーヴだ。しかし、西洋音楽と東洋音楽を折衷したため、なんだか、中途半端なものになってしまったような気がしてならない。


かつて文部省唱歌というものがあった。今も歌われている作品はある。しかし、そもそも国が音楽を編纂するという行為時代、芸術とか感性といった世界からかけ離れてしまうだろう。


音楽室に必ずあった作曲家の肖像画。この作曲家の取り上げられ方がまるで偏っていた。


学校の音楽が、音楽を紹介するということに徹していればまだ良かっただろう。しかし、器楽をやらせ、歌わせ、中途半端な楽典をやり、音楽鑑賞…とすべてが中途半端であった。


学校の先生方で、グルーヴという概念を教えてくれた人は一人もいなかった。音楽で一番大切なものを理解しない人たちが、音楽を教えるのだから、音楽の授業が面白くなるはずがない。


カリキュラムにとらわれず、良い授業をされた人もいただろう。しかし、その授業を受ける確率は、宝くじみたいなものである。


今日もグルーヴィーな一日を。

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