今日のグルーヴ〈170〉
さて、この30年間、活版からインターネットを体験して私にとっては、活字文化は、疾風怒濤の時代、産業革命、パラダイム変換、コペルニクス的転回…の時代であった。
戦国時代からの天下統一、幕末から明治維新のようなダイナミックな時代であった。
これは活字文化に限らない。私がずっと関わってきた芸術、特に音楽の世界においてもパラダイム変換の時代だった。
このパラダイム変換は、あらゆる世界で起きている。
そて、この疾風怒濤の時代が過ぎ去ったあと、世界はどうなるのか。
人間は、コンピュータやロボットに任せられるものは全部任せて、人間でなければできないことをやり始めると想像している。
それはソクラテスが理想とした世界にようやくたどり着いたということになるだろう。
人間は、食べるために、生きるために働くのではない、それが人生の目的ではない。遊んだり、勉強したり、哲学をしたり、思索をしたり、洞察したり、音楽をしたり、ということが人間本来のやるべきことだと、彼は言っているのだが、その世界にたどり着くだろう。
世界を見渡すまでもなく、私自身、そこまで全然行っていないが、人類はいずれそのようになることが本来の姿なのではないだろうか。
原始時代のような自給自足の世界に近いのではないだろうか。そうなれば、食べることにとらわれず、貨幣制度からポイント制度になり、仕事の貢献度に応じてポイントが加算され、そのポイントで、流通がなされるのではないか。
しかしながら、そのようなユートピアの世界がすぐに来るとも思えないし、そこまで人間は成長しているとも思えない。
戦争や紛争やテロがいまだになくならないし、個人対個人の争いも絶えない。これは人間の魂がそこまで成長していない証拠であろう。
ただ、そこで人間は考え出した。人間が生み出した最大最高のものというのは、ユーモアではないだろうか。これは、生きるための強力なツールであるが、突き詰めれば、生きる目的そのものかもしれない。
今日もグルーヴィーな一日を。