今日のグルーヴ〈169〉
ところで、アナログとデジタルは、どのような棲み分けがなされるのか、という問題にどうしても直面する。
個人的にはアナログの世界がほとんどデジタルに取って代わることは可能であると私は思う。それは芸術の世界でも、である。
例えば、演奏の世界。身近な例として、楽譜がある。ノートパソコンで楽譜を見ながら、本番の演奏をするカルテットはすでにとうの昔に登場している。
あるピアニストは伴奏の時、iPadで、楽譜を見ていた。譜めくりは、斜め後ろに座っている譜めくり担当の方が、リモコンでiPadの譜めくりをしていた。
普通、譜めくりは、立って楽譜をめくるのであるが、立たないので、最初何のためにそこに座っているのか理解できなかった。あとから、リモコンで譜めくりをしていたことを知ったのである。
そして、アンコールの時、ピアニストはiPadをスクロールしながら、アンコールピースを探したり、選んだりしていた。その行為から、ピアニストのレパートリーの多さを目の当たりにして、あっけにとられたものだ。
iPadは、画面が小さいから、音符が見えるのだろうかと思ったのだが、おそらく、そのピアニストはほとんど暗譜に近いのだろう。そしてiPadの画面は、曲の進行の確認程度に使っていたのではないかと想像される。
LPかCDかというテーマで、よくLPの方が音に暖かみがあると言われるが、私には分からない。オーディオのこだわりには私は興味がない。
音源としては、とうの昔にデジタルの世界は確立されている。
美術の世界、絵画の世界では、デジタル化はあり得ない、と言われるかもしれない。
絵の具のノリといったものはデジタルでは表現できないし、感じ取ることはできないと。
しかし、そもそも絵の具のノリとかを感じ取る事自体、世界中のほとんどの人が物理的に無理である。
モナリザの絵を直に見ることができる人はごく限られた人数でしかない。ほとんどの人は、撮影されたものを見ることしかできないのである。
その点、アナログの普及にはデジタルは不可欠である。
アナログの世界を否定しているわけではない。元々アナログの楽器に関しては、それは未来永劫生き続けるだろう。
アナログの世界は個人的な世界で、より発展するだろう。
アナログはミニマム、コアの世界でありデジタルはマス、マキシマムの世界であるという棲み分けが、より鮮明になる、と考える。
尤も個人的には、デジタルもコアな世界を表現するものであるとは思う。
(つづく)
今日もグルーヴィーな一日を。