今日のグルーヴ〈168〉
しばらくは矛盾を感じつつも、DTPの世界に浸っていた。しかしこの世界以上の世界がきっとすぐに誕生するだろうと思われた。
そもそも情報がネットの世界で誰でも得ることのできる時代である。情報そのものが商品になりにくい時代になったのである。
紙の本の需要はまだあるが、私自身は、紙媒体をほとんど買わなくなった。
文芸作品は著作権の切れたものは只でネットから読める時代である。
新聞を取らなくなって久しい。
今思えば、新聞の紙は読み終わればゴミになってしまう。貴重な資源が、ゴミになってしまうのである。
新聞で重要な情報や連載などは、切り抜いてスクラップにしていた時代もあったが、趣味でするのであればともかく、そうでない者にとっては莫大な時間のロスであった。
必要だと思った情報はほぼ全部、ネットの世界でも得ることはできる時代なのである。紙媒体から、必要な情報を得ようと思ったら、何倍もの時間とコストがかかる。
新聞の勧誘はほとんど来なくなった。そもそも、新聞には広告があるわけで、その広告を出してくれるスポンサーの事件は書けないという矛盾にはらんだ媒体である。尤も新聞だけに限らないが。
かつて新聞を取らなくなって、勧誘の人がひっきりなしに来たとき、こう言われたものだ。「スーパーの挟み広告とか見ないんですか?」と。新聞はスーパーの挟み広告を運ぶ媒体なのか?
CDも、買ってくれない時代にとうの昔にきているのである。
かつてLPレコードがCDに取って代わられた時、CDは100年はもつ、と言った人がいたが、結局は2,30年というところではないだろうか。勿論、CDがすぐに無くなることはないが、CDはアーティストの名刺代わり、もしくはグッズ化しているのである。
若者はCDを買わず、必要であればYouTube等から楽曲を聴く。
文化というものがそもそも商品になるのか、商売になるのか、という問題すら感じてしまうのである。文化は現象であり、商品ではないのではないか、という疑念を、私はぬぐうことができないでいる。
そこで窮余の策なのか、逆に画期的な仕組みなのか、クラウド・ミュージックなるものが続々と登場した。
そしてアーティストは、聴衆との距離をより近くすることを考え始めた。
何百万曲単位で、音楽がクラウド化され、月に1000円程度出せば、自由に聴くことのできる時代である。
放送局は、楽曲の著作権に関して、一つ一つ契約していては大変な作業になるので、包括契約をしているが、この考え方に近いのではないだろうか。
こういう仕組みがあらゆる世界で始まるとしたら、社会主義が目指したものに似てくるのではないだろうか。
すこし話が逸れるが、日本は、社会主義の理念を最も具現化した国、つまり「世界で最も成功した社会主義国」と、良い意味でも皮肉でも言われるが、社会主義を目指した国がかなり崩壊したなかで、一応資本主義の日本が、社会主義の理想とした世界に近い世界を具現化したというのは、やはりなんとも皮肉である。
クラウドの世界が今後、どのような世界をもたらすのか、興味深いとともに、誰もが参画していける、いや、していかなくてはいけない時代になったのではないだろうか。(つづく)
今日もグルーヴィーな一日を。