今日のグルーヴ〈334〉
日本のシャンプーの歴史は、経済成長と並行しているように思う。 私が幼少の頃は、石鹸がシャンプー代わりだった。ゆえに、髪の毛がごわごわになる。 そのうちに、バックされた粉のような髪の毛専門の、つまりシャンプーが家に登場し、そのうち液体のものになり、さらに容器に入れられるようになり、さらには容器がポンプ式に成り、そして詰め替え用も登場した。今私はポンプ式のボトルは使わず、詰め替え用のものを詰め替えずにそのまま使っている。 この間、リンスなるものが登場し、さらにコンディショナー、トリートメントと登場。この三つの違いはよく分からない。ネットで調べても頭に入ってこないし、使ってもいない。 さて、製品が進化するのはいいことなのかもしれないが、日本は、どんどん品揃えを新しくして、かつて登場したものは、どんどん無くなっていく。 海外へ行くと、石鹸もシャンプーも、昔使ったことのあるような懐かしい香りがしたりする。おそらく日本のように頻繁にチェンジはしないのだろう。 ただ、現在使っているものにしてからは、抜け毛が減ったように思う。とっくに禿げることを覚悟していたのだ
今日のグルーヴ〈333〉
現代の世の中には、数え切れないほどの、様々な清涼飲料水、飲み物(日本茶、アルコール類は含まない)があるが、私の実感では、私の幼少の頃には、そんなにはなかったように思う。 例えば、炭酸飲料と言えば、ラムネであった。ジュースの飲み物と言えば、粉末ジュース、ワタナベジュースの素であった。バヤリースなど、子供には買えなかった。 100パーセントジュースなども一般的ではなかった。 それ以外に、私が飲んでいたのは、牛乳、コーヒー牛乳、ミックスジュース、麦茶、砂糖を入れた麦茶、ココア、インスタントコーヒー、紅茶程度であった。 ある時、コカ・コーラ、ペプシ・コーラが登場した時、それは衝撃であった。ファンタが登場し、当時としては珍しい500mlのミリンダが登場し、その後、自動販売機の普及、ペットボトルの普及、コンビニ、スーパーによって、一気に様々な、飲み物を目の当たりにすることになる。 あんまり、種類が多いので、選ぶのに迷うくらいである。 しかし、いくら、色々なものが登場しようと、私の原点は不動である。 それは、どんなに電気剃刀が進化しようと散髪屋さんの剃刀には敵
今日のグルーヴ〈332〉
子供達の虐めの問題が一向に無くならなくて、毎日のように報道されているが、虐めの問題は大人にもある。大人が大人を虐めているのである。子供の虐めの原因は、大人の虐めなのではないか、と思えてならない。 子供達は、見ていないようで大人を見ている。反面教師であればまだしも、大人は悪い意味で見本になっているのである。 今思えば、私は子供の頃からずっと、常に、大小いろいろ、虐められてきたというふうに考えることもできる。たいていはパワハラである。それに対してどうしたかというと、じっと我慢していたのだが、かたや助けてくれる友人がいたことで救われたこともある。反撃したこともある。 人間というのは、権力を悪用すれば、どこまでも悪くなる。また、人の勢いに乗じて、これ幸いとばかり、一緒になって攻撃したりするひともいるが、そのような人間は言うまでもなく、一人では何も出来ないから人の勢いに乗じるのである。 政治の世界では、ひとたび弱みを見せたら、かさに掛かって責められるが、これなども、一歩間違えば虐めである。大人の虐めは、知恵が付いた分、巧妙である。それでもって、過去に何人も
今日のグルーヴ〈331〉
グルーヴを生み出すものにはいろいろなものがある、というのが私の考え方であるが、そのうちの一つにメロディそのものがある。 またハーモニー、リズム、つまり、音楽の三要素そのものがそもそもグルーヴを生み出すものであり、忘れがちなものにテンポがある、ということを改めて思う。 さらに、音楽的なテクニックであるヴィブラート、跳躍、アーティキュレーション、テンポ・ルバート…つまり、音楽に関係するあらゆる要素は、究極的にはグルーヴという目的のために存在しているのだと改めて思う。 そういうことを考えると、あらゆる音楽は究極的にはグルーヴが目的であることを確信する。グルーヴはノリ、躍動感とか高揚感などと定義づけらるが、もっと簡単に言えば、心を揺さぶるものである。 何の為に音楽をするのか、それは自他の心を揺さぶるためであろう。BGMからも気がつかないうちに心を揺さぶられているのである。 ゆえに、心を揺さぶられないとしたら、その演奏なり楽曲は、音楽ではない、と言いたい。好みでないジャンルの音楽であっても、必ず心を揺さぶるものがあるはずである。そうでなければ、多くの人から
今日のグルーヴ〈330〉
かつては、年に、二、三回は風邪をひいていたが、歳をとったせいか、体調を落としたとしても、風邪をひかなくなった。 以前は、夏風邪もひいたものだが、それもなくなった。夏もインフルエンザはあるらしいが、冬の時期も含めてインフルエンザにもならない。予防接種を全然していないにもかかわらずである。 歳を重ねると、たいていのインフルエンザの抗体ができているのかもしれない。 風邪はひかなくなったが、若い頃のように無理をすることはできなくなった。かつては、週休二日制どころか、月休二日くらいの勢いで仕事をしていたが(せざるを得なかった)、今では、そのような体力も気力もない。 また音楽活動も一時期、三つのオケと一つの吹奏楽と一つのブラスを掛け持ちしていたが、もはや無理である。 過重労働が社会問題になっているが、仕事イコール趣味という人は、おそらく、いくら仕事をしても心は充実しているだろうし、過重労働という実感もないのではないだろうか。 しかし、やはり、それでも気がつかないうちに体調を崩したりするのだろう。それはむしろ神の思し召しのように思える。 ただ、私は健康診断を何
今日のグルーヴ〈329〉
気がついたらポイント・カードなるものが、財布から溢れそうになっていた。 かつてこの手のものは、ブルーチップを集めて、紙に添付することを母親達はやっていた。また目的は異なるが、小学校ではベルマーク運動を奨励していたので、競って、ベルマークを集めたものだ。 親父がパチンコでたくさんチョコレートを獲得すると、大喜びで包装からベルマークを切り取って集めた。友達が大量のチョコレートのベルマークを持ってきたら、君のお父さんは、パチンコの達人だなぁ、と感心したものだ。 しかし、紙チップを集めて整理する、この手間暇は計り知れない。 世の中の流れで、様々なポイントはカード化されていったのだろうが、これも作るのが面倒だった。書類を書き始めて、面倒になって止めたことが何回かある。 しかし、これだけ世の中ポイント・カードお持ちでしょうか?と言われ続けると、逆に面倒になってポイント・カードを作るようになった。 ポイントが貯まると(といってもせいぜい数百円程度)、それで買い物もできるし、数円といった端数もポイントから支払うことができるので、意外と役にたっている。 すると、あ
今日のグルーヴ〈328〉
野党に期待が持てないから、与党の派閥に期待するという妙な時代になった。 二大政党制が日本では育たなかった今、二大派閥制による政権交代に人々は期待するのかもしれない。 金権体質の派閥はいけない、と言っても、結局存続しているのだから、派閥ができる必然性があるのだろう。 ところで政界では、言った言わないという水掛け論に終始するということばかりやっているが、内外の情勢に鑑みるに、そのような事をしている場合なのだろうか。 ただ、このようなことを真面目にやるからこそ、人間は、愛すべきものでもあるような気がする。 AIはどうなのか。とりあえず、無駄はかなり省かれるだろう。しかし、その無駄も含めてAIが獲得したならば、いよいよAIが人間に取って代わる日がくるのではないか。人間より優秀で、しかも愛すべき性格も併せ持ったら、人間がかなうはずもない。 AI時代になると、今の職種の半分は無くなるという予想があるので、安定している公務員や大企業に就職することを考える人が増えると思うが、公務員や大企業でも、AIが席巻するのではないか。 おそらく、AIについても、あるところま
今日のグルーヴ〈327〉
今年も、吹奏楽コンクールの季節になった。テレビのおかげで吹奏楽コンクールが社会的に知れ渡るようになって久しいが、最近は、中学の部門、高校の部門では、女の子しかいないように見える。男女共学であるにも関わらずである。 それどころか、マーチングバンドですら、女の子ばかりであったりする。 男の子はいったい何をやっているのだろうか。サッカーとか野球なのか。 しかし、実際のところ、男の子より女の子の方が、楽器は何を吹いても上手いようである。総じて、男の子のように妙な無駄な力みがなく、リラックスしているから、女の子の方が上手くなるのは必然だろう。 近い将来、日本のオーケストラの管楽器奏者は女性ばかりになってしまうだろう。 ところで、吹奏楽コンクールの賞が、金、銀、銅の制度になってから、40年以上が経つが、最高の賞である金賞を複数の団体が獲得するから、何か達成感がいまいちなのではないだろうか。 かつては、厳格に、第1位、第2位、第3位はそれぞれ一つの団体、と決められていたから、全国で第1位になるのは、甲子園で優勝するくらい至難の業であった。 それでは酷である、と
今日のグルーヴ〈326〉
子供の頃から、これからは情報化時代と盛んに学校内外で言われたものだが、現在も情報化時代と呼べるのか。そもそも情報化時代という言葉自体に手垢がついているような気がしてならない。 当時(1970年代~80年代)、社会や学校の先生が盛んに言っていたことは、情報の取捨選択である。すでに情報が溢れた時代であったが故に、いかに情報を取捨選択するかが鍵である、といったようなことが盛んに言われていた。 情報は、ほとんどがテレビ、ラジオから流れてくるものと、紙媒体(新聞、雑誌、本、書類やリーフレット等)からのものだった。 テレビやラジオから流れてくる情報は、自分というフィルターを通して、残る情報は勝手に残っていくだろうし、興味のないものは、右から左へと消えていく。 ゆえに、情報の取捨選択というのは、極端に言えば、どの書類を残し、どの書類を捨てるか、の作業に他ならなかった。極端な場合、紙媒体をスクラップするような行為もあった。 大ベストセラーだった梅棹忠夫氏の「知的生産の技術」では、情報をカード化(京大式カード)する方法も紹介された。この考え方は正にデータベースに引
今日のグルーヴ〈325〉
かつては、楽譜通りに演奏することが、クラシック音楽の至上命題だと思っていた。 卓越したクラシック演奏家の演奏は楽譜通りだと思った。しかし何をもって楽譜通りなのか、これを定義することは難しい。 しかし卓越したクラシックの演奏家の演奏は、根拠も無く、楽譜通りに演奏している、と思ったのである。そして、楽譜通りの演奏は美しいと思った。 それは、ソロの演奏もオケの演奏も同様に思った。今日まで残っている古今東西のオケ作品は、取りあえず、楽譜通りに演奏するだけで、名演になるように書かれている、と思った。それは何の根拠もなく、そう感じたのである。 しかし、お笑い芸人の人達の某番組のパフォーマンスを見て、台本通りのつまらなさに辟易したとき、果たして、クラシック演奏の楽譜通りという演奏は、やはりつまらないのではないかと疑問に思った。 芸人さん達にも多少の流れ、台本のようなものがあるのかもしれないが、それは、あくまでも方向性だけを示しているだけで、ネタも大事だが、現代の芸人さんの主流は、基本的に、ネタを活かすパフォーマンス、咄嗟のもの、気転、アドリヴ、瞬発力、間(ま)