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本や楽譜に囲まれていると、とても幸せだ。

小さい頃は、将来バイトするなら、書店か図書館と決めていた。

結局、夢は叶わないまま、この年齢に至ってしまったが、

もっとも足繁く通う場所にはなっている。

 

よく通う地元の図書館、そこで借りる本に、

ときに、"書き込み"がしてあることがある。

それは、的確に引かれたラインであったり、

思わず納得してしまうようなメモ書きであったりもするが、

頭で関心はしても、胸が痛い。

 

鉛筆書きのものは、紙を傷めないように、

そっと、消しゴムで消してはみるが、

傷痕のような溝に、癒えない心の痛みを重ねて、

思わず、メランコリックになってみたりする。

 

本だけでなく、楽譜への書き込みにも抵抗がある。

「書き込みは最低限」という指導を受けてきたからなのか、

単に、美しく神聖なページを汚すことが許せないのか、

それは、あくまでも、個人的な、

曖昧で、漠然とした、言葉にできない感情的なものである。

 

ただ、子どもの頃使った楽譜に残されている、

先生方の注意書きには、温かく点る灯を見る感がある。

きっと、それらがもう、単なる"書き込み"ではなく、

"想い出"に昇華されてしまっているからだろう。

 

ボウイング、フィンガリング、ときにはデュナーミク、フレージング。

学習過程においては、やむを得ずしなければならない"書き込み"。

 

一歩間違えば、冒涜にもなり兼ねない作業だが、

楽譜の向こうに広がる、遠く深い大作曲家たちの世界が、

たった一つの書き込みで、グッと近付いてくる感覚はたまらない。

最終的に、それが手に入れられるかどうかは別だけれど。

 

 

"ルネサンス三大発明"― 羅針盤、火薬、そして、印刷術。

印刷技術と言えば、何と言っても"グーテンベルク"だ。

 

ドイツ生まれの、金属加工職人だった彼は、

鋳造合金の活字とブドウ搾り機の原理を応用した活版印刷機を発明。

見目麗しきラテン語聖書の印刷を完成させた。

 

そして、「楽譜印刷のグーテンベルク」と呼ばれるのが、

オッタヴィアーノ・ペトルッチ(Ottaviano Petrucci 1466-1539)。

イタリア・マルケ州出身の楽譜印刷&出版者。

25歳の頃ヴェネツィアに渡り、印刷技術を学んだという。

ときの元首に20年間の楽譜印刷独占権を申請(1498年)、

1501年、多声音楽集《Harmonice musices odhecaton》を出版する。

 

楽譜を探すときに、必ずネットで『IMSLP』をチェックするのだが、

この『ペトルッチ楽譜ライブラリー』の名の由来は彼にあり、

ロゴの大文字のAは、先の《オデカトン》からとっているのだとか。

 

楽譜を活字印刷するのは難しかった。...そうだろう。

時間(水平)軸と音高(垂直)軸=二元的な構造を持っているのだから。

 

その問題を、 [譜線]+[音符](+[歌詞])と多重印刷することで解決、

多声音楽の印刷・発信を可能にしたのがペトルッチ、という訳だ。

ただ、印刷能力は低く、価格は手書き譜と変わらなかったらしい。

 

楽譜印刷の基礎固めをした"第一世代"に、もう一人、

アテニャン(Pierre Attaingnant c.1494-1551/2)がいる。

彼はパリで王室音楽印刷家として活動、一回刷りの技法を確立(1527年)した。

それにより、発行部数は増大、価格は大幅引き下げとなり、

楽譜の普及に大きく貢献することとなる。

 

振り返れば、芸術音楽の媒体は"楽譜"だった。

彼らの功績は、大きい。

 

 

ちなみに、印刷機による"印刷"を版式で分類すると、

 

― 凸版(=活版印刷)

画線部を凸にして凸部の頭にインクをつけ、紙に転写する方式。

グーテンベルクの活字印刷はこれだ。

物理的限界から、和音が分割されて印刷されたりもしていて、

正直、非常に読みにくい。(元々見慣れない譜ということもあるが...)

五線譜に慣れた人間にそれは、まるで暗号のようだ。

 

― 凹版(=彫版印刷) ...エッチング

非画線部である凸部から、塗ったインクを取り、

凹部に入り込んだインクを紙に転写する方式。

活字印刷の欠点をカバーできる上、繊細な線や文字も描ける。

ただ印刷できる部数が少なく、高価になってしまうことが問題だった。

現在では、あらゆる面で進歩し、大量印刷も可能になっている。

 

― 平版(=化学印刷、石版印刷) ...リトグラフ

化学反応を利用して平版にインクの乗るところとそうでないところを作り、

画線部にインクを乗せて、紙に転写する方式。

安価に自作できるので、作曲家自身が制作することも多かった。

ウェーバー(1786-1826)やワーグナー(1813-1883)も行なっている。

 

 

こうした版の発展、印刷技術の進歩によって、

楽譜の大量生産は可能になり、印刷事業は拡大していった。

 

その重要性や営利性から、ヴェネツィアやパリのように、

国や自治体が出版家に独占権を与え、寡占体制になった国もあれば、

その都市その都市で、小規模に展開するパターンもあった。

 

著作権保護がなかったから、わざと大量に出回らないようにしていた、

そんな文も見た。著作権...なるほど、である。

 

16世紀後半には、技術革新が、楽譜出版の事業化を可能にし、

"Scotto and Gardano"(ヴェネツィア) や、"Le Roy & Ballard"(パリ) ら、

"第二世代"と呼ばれる人たちが、大きく発展させていく。

 

楽譜出版家(社)が楽譜を作り、商人が売り歩く。

商業都市で開催される、大々的な"楽譜の見本市"。

その様子を思い浮かべるだけで、わくわくする。

 

印刷業は、商売。

印刷される楽譜は、売れる楽譜。

売れる楽譜は、大勢の人が求める楽譜。

だから、オペラや大規模編成の音楽などは印刷されなかった。

売れた楽譜はといえば、鍵盤音楽や小編成の室内楽、歌曲(集)...。

 

17世紀から18世紀中頃までは、ヨーロッパ全体の不況もあって、

楽譜印刷は衰退するが、それはあくまでも一時的なものだった。

ロンドン、アムステルダム、パリ、ウィーン、アウグスブルク...。

これらの都市で、出版業が盛んになる。

 

19世紀に至っては、有名出版社が続々現われ、

クラシック業界は演奏も教育も、楽譜なしでは立ち行かない状態になる。

楽譜の印刷技術は、かなり早い時期に確立していた。

その割には、そういう状況が来るのが遅いような気もするが...。

 

1903年、ルーベル(Ira Washington Rubel)によって、

オフセット印刷が発明されると、

その驚異的な印刷能力から、それが主流となり、

今や...、今や...。

 

 

今や、紙媒体の存在も危うい時代だが、

媒体がなんであろうと、"楽譜"には特別な力がある。

 

五線を引いた瞬間に、時間的要素が組み込まれ、

音符を書いた瞬間に、空間的要素が組み込まれる。

 

再現技術を持った演奏家さえいれば、

"過去の記録"が息を吹き返し、今に甦る。

それを、奏者と聴衆が共有できるのだから、素晴らしい。

 

そう、楽譜には"時間"がある。

 

《タイスの瞑想曲》なら凡そ5分、《愛の挨拶》なら凡そ3分、

閉じられた時間が、扉が開くのを待っている。

 

楽譜を目で追い始めれば、その瞬間から"時間"が流れ始める。

左から右に、一段下りて、左から右に、一段下りて、左から右に...。

 

そういえば、グラフも年表も、

時間軸は「左から右」が、自分にとっては自然だ。

これが、逆に書いてあると、どうしても時間が進まない。

「右から左」の年表は、単なる箇条書きにしか見えない...。

 

実は、"横書き"の書物が苦手だ。

ただ単に、慣れの問題だろうと、

その理由を追及することもないまま過ごしてきたが、

よくよく考えてみれば、

音楽関係の書籍(特に譜例の多いもの)は"横書き"が多い。

これらには、頻繁にご厄介になっている。

どうも、「慣れ」の問題だけではないらしい。

 

そうして、気付いた。 "縦書き"の本を読んでいるときは、いつも時間を忘れている。

本の中の、その世界の時間で、時を過ごしている。

でも、 "横書き"の本を読んでいるときは、

リアルに時間を消費している感覚がある。

浸り切れない。

"時間"が邪魔をして、文章がすんなり頭に入らない。

湧き上がる不思議な焦燥感。

 

譜を読むように、文字(文章)を読んでいるのか?

 

すんなり入らないといえば、

何と言っても、「右から左へ」物語が進む、日本の"絵巻物"だ。

巻物というだけでも、かなり混乱するのに、

明らかにそこに在る時間を、視覚が追い切れず、

眼も頭も、オロオロウロウロしてしまう。

 

楽譜が巻物だったら...ゾッとする。(笑)

 

段(行)が変わるという感覚も、ページをめくるという作業も、

自分の中では大切なファクターなのかもしれない。

 

うむ。

これ以上考えると、深みにはまりそうだ。

今日は、止めておこう。

 

 

その昔、コピー機のなかった、それほど昔でもない昔は、

楽譜を、いつも、二冊買っていた。

『神聖なる原譜』と『書き込み用楽譜』。

 

コピー機が現われ、コピー代が手頃な金額になると、

買った楽譜をコピーして、『書き込み用』を作った。

今は自宅のお手軽複合機から、じーこじーこと書き込み用楽譜が...。

 

学生時代、指揮科の友人が、師匠に頼まれたと、

オペラの総譜から、各楽器のパート譜を書き起こしていた。

演奏会の演目なのに、パート譜が手に入らないと...。

 

探すアンサンブル譜がなく、

あちこちに足を運んで、結局、スコアしか手に入らず、

自分でパート譜を起こしたこともある。

 

今は、お金さえ出せば、大抵ネットで手に入る。

お金を出さなくても、手に入ったりもする。

ありがたい時代だ。

 

かの友人の写譜は、まるでカリグラフィーのようで、

本当に、美しかった。

そんな風に書けないかと、同じペンを買ったっけ。

写譜ペンを引っ張り出して、

白紙に五線を引く。

左から右に。

 

...まだ時間は動かない。

ヴァイオリン弾きの手帖

ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃

第53回 左から右へ、上から下へ、

© 2014 by アッコルド出版

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