「​ジェラール・プーレ」

スペシャルコンテンツ配信決定

ヴァイオリン弾きの手帖

ヴァイオリニスト 森元志乃

好評発売中!

SANAE

「ハープ奏者」

●日時:2017年5月5日(金・祝) 
 14:00開演(13:30開場)
●会場:紀尾井ホール(四ツ谷駅麹町口 徒歩6分)
●入場料(全席指定・税込)
 S席6,000円、A席5,000円、B席3,500円
●出演者
 ジェラール・プーレ(ヴァイオリン)
 丸山 泰雄(チェロ)、藤井 一興(ピアノ)

 川島 余里(ピアノ)

●チケット取扱い
紀尾井ホールウェーブチケット

 http://www.kioi-hall.or.jp/
紀尾井ホールチケットセンター 03-3237-0061

(営業時間10:00~18:00/日祝休)

主催:プーレ・コンサート・イン・ジャパン
後援:在日フランス大使館

   アンスティチュ・フランセ日本

   株式会社日本ヴァイオリン

   昭和音楽大学
お問合せ:株式会社プレルーディオ 044-953-2105

プーレ・コンサート・イン・ジャパン 080-4372-3597
マネジメント:株式会社プレルーディオ

ドビュッシー三昧

〜父ガストン・プーレと作曲家ドビュッシーによる、

最晩年のヴァイオリン・ソナタの初年(1917・5・5)から100年記念コンサート〜

ドビュッシーのヴァイオリン・ソナタ
その誕生秘話

 

世界的ヴァイオリニスト、ジェラール・プーレがドビュッシーのヴァイオリン・ソナタが初演された1917年5月5日から、ちょうど100年目という記念すべき本年5月5日にこのソナタを演奏する。

 

プーレ氏とドビュッシーのソナタとは深い関わりがある。
プーレ氏が家宝とまで呼ぶこのソナタの誕生の興味深い経緯をプーレさん自身に語っていただいた。

 

「ヴァイオリニストであった父は、ドビュッシーと交流がありました。父からドビュッシーについて、またこのソナタについて、いろいろな話を聞きました。ですからこの作品は、私の持ち曲だと思っています。もちろん、私だけが弾くわけでなく、他にも素晴らしい演奏をされる方はたくさんいます。でも、ファミリーの話があるのは私だけです。それは私の誇りとするところです。

 

話は1916年に遡ります。父はプーレ弦楽四重奏団の第1ヴァイオリン奏者でした。とてもいいキャリアを築き、オランダ、ベルギー、ドイツなどヨーロッパ中で演奏活動をしていました。ドビュッシーの弦楽四重奏曲も盛んに弾いていました。

 

ある時、父は考えました。「作曲家が生きているのだから、彼の所へ弾きに行こう。ドビュッシーの弦楽四重奏曲は我々の得意な曲でもあるし。きっと喜んでくれるに違いない」と。

 

父は手紙を書きました。『貴方のところに行って貴方の曲を弾きたいのですが、よろしいでしょうか?』と。ドビュッシーは返事をくれました。ブルーのインクのとてもとても小さな字の手紙だったそうです。

 

ドビュッシーの家は綺麗な家だったそうですが、彼自身最初は、そっけない態度だったそうです。シャイな人で、全然話したがらないような人で、あまり心を開いてくれるようなタイプではなかった。とにかく言葉少なだったそうです。父は最初、驚いたそうです。

 

とにかく、1楽章を弾きました。ドビュッシーは何も言わない。2楽章を弾きました。3、4楽章を続けて弾きました。でも最後まで何も言わなかった。父は遂に立って、部屋の隅で聴いていたドビュッシーのところまでつかつかと寄って、『先生、こんなふうでいいですか?』と聞いたそうです。

 

すると『僕の思っているのとは違う』とドビュッシーは言ったそうです。でも『僕のイメージとは違うけれど、あなた方とてもよく弾いているし、あなた方にその弾き方は合っているので、その演奏を変えないように』と言ったそうです。

 

『ですけど、じゃあ、ちょっとだけ僕のイメージを言いますね』ということで、結局最後にはたくさんのことをドビュッシーは言ったのですね。一番最後は、雰囲気も良くなり、その日はそれで終わりでした。

 

何週間かして、ドビュッシーから手紙が来たそうです。

 

『親愛なるガストン様、私は今ヴァイオリンのソナタを作曲しています。あなたのことを考えました。私にヴァイオリンのテクニックのことなどを少し教えて欲しい。ソナタを完成するにあたって、どのように書いたらよいか、知識が必要なので、アドヴァイスが欲しい。一緒にディスカッションしませんか』

 

父はとても嬉しかったそうです。大作曲家が、自分を選んで相談してきてくれたことをそれはそれは誇りに思っていました。

 

実際に父はドビュッシーのところへ行き、ここはもっとヴァイオリンらしくした方が良いとか、ピッチカート、フラジオレットなどのテクニックに関してのアドヴァイスをしたそうです。曲想に関しては何かを言ったわけではありません。ドビュッシーのところに何回も行ったそうです。そして、2、3ヶ月が経ってソナタが完成しました。

 

ドビュッシーは『本当に有り難う。私はあなたと一緒にこうやって作ったのだから、あなたと初演をしたい』と言ってくれたのです。

 

実は彼は、そのときすでに癌にかかっていました。その頃に手術もしました。その直後、少し体の具合が良くなったので、演奏することになり、パリのガボーというホールで世界初演を行ないました。

 

ドビュッシーがピアノを受け持ち、父のガストンがヴァイオリンのソロを弾きました。1917年5月5日のことです。そのコンサートは、ガストンのリサイタルです。ドビュッシーのソナタの他に、ラロのスペイン交響曲がピアノ伴奏版で演奏されました。ヴィターリのシャコンヌもありました。

 

ドビュッシーのピアノ伴奏で歌手との共演で2曲が演奏され、ドビュッシーのヴァイオリンとピアノのためのソナタが演奏され、歌の曲がまた入って、最後にクライスラーの前奏曲とアレグロ。それはガストンの妹がピアノを受け持ちました。ドビュッシーの作品は、すべてドビュッシー自身がピアノを弾いたわけです。

 

この話に父は誇りを持っていましたし、折に触れては話してくれました。父は、このソナタの内容について、演奏法について、そしてドビュッシーがどのように演奏したがっていたかなど、たくさんのことを教えてくれました。

 

例えば『ここのフラジオレットは、ドビュッシーのアイディアなんだよ』といった細かなことまで、教えてくれました。

 

ところで以前、ピアニストの青柳いづみこさんと共演したとき、彼女はパリでこの曲の使われなかった部分の草稿を見つけて私にも見せてくれました。

 

父もその草稿のことは知らなかったかもしれない。使われなかった部分ですから。でも、ドビュッシーは、いろいろ躊躇して、これにしようか、あれにしようか、と凄く迷っていたということは話してくれました。

 

この曲は簡単に書かれたわけではないのですね。推敲に推敲を重ねてかかれたものです。使われなくて捨てられた部分が多いということも、とても分かるような気がします。」

グルーヴ教本

アッコルド:青木日出男

© 2014 by アッコルド出版