"Follow The Light"
ヴィオラ奏者 安達真理
第17回
「音楽家一家でなくても音楽家にはなれる」

Mari Adachi, Vla
東京生まれ。4歳よりヴァイオリンを始める。
桐朋学園大学在学中にヴィオラに転向。卒業後、同大学研究生修了。
2009年よりオーストリア、ウィーンに渡る。ウィーン国立音楽大学室内楽科を経て、2013年スイス、ローザンヌ高等音楽院修士課程を最高点で修了。
2015年、同音楽院ソリスト修士課程を修了。
2013年よりオーストリアの古都インスブルックのインスブルック交響楽団にて2年間副首席ヴィオラ奏者を務め、2015年夏帰国。
現在はソロ・室内楽奏者としての活動を中心に、
仙台フィルハーモニー交響楽団の首席奏者として客演、
弦楽器・クラシック音楽webマガジン「Web アッコルド(a-cordes.com)」のコラムを執筆するなど、活躍の場を広げている。
2005年霧島国際音楽祭にて特別奨励賞、優秀演奏賞受賞。
第6回大阪国際音楽コンクールアンサンブル部門第1位およびラヴェル賞受賞。 2010、2011、2013年とセンメリンクでのウィーン国立音楽大学国際夏期アカデミーにおける全弦楽器を対象とするコンクールにてソリスト賞を受賞。
2011年バーデンバーデンのカール・フレッシュアカデミーにて、バーデンバーデン管弦楽交響楽団とバルトークのヴィオラ協奏曲を共演、特別賞を受賞。
2011年よりカメラータ・デ・ローザンヌのメンバーとして、ピエール・アモイヤル氏と共に、スイス、フランス、トルコ、ロシアの各地で多数の公演を行う。
またこれまでにアライアンス・カルテット、ルーキス・カルテットのメンバーとしてオーストリア、ハンガリーを中心に公演を行う。
2014年、バンベルク交響楽団にて首席ヴィオラ奏者として客演。
2015年、ローザンヌ室内管弦楽団とマルティヌーのラプソディー協奏曲を共演。
同年夏、モントルージャズフェスティバルに出演。
クラシック音楽のみならず、幅広いジャンルで活躍。 世界的なヴェルビエ国際音楽祭にて、アマチュアの人たちの室内楽のレッスンにあたるなど、指導者としても活動を始めている。 ヴァイオリンを篠崎功子氏、ヴィオラを店村眞積氏、ジークフリード・フューリンガー氏、今井信子氏、ギラッド・カルニ氏、室内楽を、東京カルテット、ヨハネス・マイスル氏に師事。その他国内外にて多数のマスタークラスを受講。
https://twitter.com/AdachiViola
https://www.facebook.com/mari.adachi.viola
聡明な解釈と美しい音による豊かな表現。彼女はアーティスティックな才能を持っている。』
——ギラッド・カルニ(ローザンヌ高等音楽院教授、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団首席ヴィオラ奏者)
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日本が誇る若手ヴィオラ奏者の安達真理さんの
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ヴィオラ、ヴァイオリン、そしてクァルテットもレッスン対象です。
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●レッスンは約30分
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音楽家を志す人は、家族や親戚に音楽家または音楽愛好家がいる場合が多い。
さて私は。
音楽に全く関係ない家系に生まれ、音楽に全く関係なく育った。
そんな私が音楽と出会ったきっかけはこの子。
http://wed634.blog72.fc2.com/blog-entry-107.html?sp
そう。ミニーちゃん。
東京ディズニーランドの今はなき「ミッキーマウス・レビュー」。
その最後にディズニーのキャラクターたちがみんなでオーケストラを演奏するのだ(ミッキーはもちろん指揮者!)。
まさかそれが一生を左右することになるとは全く予想だにしていなかった私は、当時3歳だった。
このヴァイオリンを弾いているミニーちゃんの陶器の置物を買ってもらってご機嫌で家に帰り、「ミニーちゃんと同じのがやりたい!」と言い放った。
おそらくまだ「ヴァイオリン」という認識は私の中になかったように思う。
もしデイジーが吹いていたフルートをミニーちゃんが吹いていたら、私は今頃フルート奏者だったかもしれない。
父の転勤で各地を転々とする可能性があったため、いずれ私に友達がなかなか出来ないようなことがあっても寂しくないようにと、まずは近所の音楽教室でヴァイオリンを習わせてもらうことになった。
オモチャのような小さな小さなサイズのヴァイオリンからのスタートだった。
私の母校である桐朋学園大学を卒業したばかりの、とっても綺麗なお姉さんに教えてもらえることになった。
先生の勧めで、同じ教室でピアノとソルフェージュも習い始めた。
最初は単なるお稽古事としてやっていた。
私は手を動かすことや、絵を描くのが大好きだった。いつも何かを作っていたように思う。
母は音楽のことは何も分からなかったが、レッスンにいつも付き添ってノートをとってくれた。先生に出された課題も、ノートを見ながら一緒に試行錯誤してくれた。
そうこうしているうちに、小学生の私の夢は「ヴァイオリンの先生」か「漫画家」に絞られた。
しかし同じ学年の中に、私よりも絵が上手な子が二人いた。私は幼いながらに挫折を覚えた。
私の夢は「ヴァイオリニスト」と決まった。
今思えば、まるで覚悟などさらさらなく、さして深く考えることもなく、子供だった私は自分で音楽の道を志すと決めたのだった。
そして今もこうして音楽をして生きている。
色々あったけれど、今では私をこの道に導き、背中を押してくれた全てに感謝している。
音楽を通して、私は様々な人に出会い、様々なことを経験し、人生にとって大切なことをたくさん学ばせてもらっている。
それがまた私の音楽の糧となる。
これからも音楽との人生の旅は続いていくが、ミニーちゃんの思い出、そして、その頃私に向けられた両親のあたたかい気持ちは、私にとって、ずっとずっと原動力を与えてくれる愛しい宝物だ。