ヴァイオリン弾きの手帖

ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃

第138回

私のイーダ

我が愛する街では、
世間がハロウィン、ハロウィンと大騒ぎにしている頃には、
すでにハロウィンイベントは終わっていて、
まるで何事もなかったかのように、
クリスマスイルミネーションの準備が着々始まっていた。

 

そのハロウィンもすでに忘却の彼方。
駅前の大通りには、例年通りの大きなツリーが出現、
可愛い小型のイルミネーションもあちらこちらに配置されている。
この原稿がアップされる頃には点灯式も終わって、
優しい光が夜を美しく彩っていることだろう。楽しみだ。

 

小さい頃は、サンタクロースの存在を信じていた。
…いや、これは嘘だ。どの世代にも、幼稚園の年少さんにでさえ、
必ず一人や二人「サンタなんている訳ねぇじゃん」って奴がいて、
早々に現実を知ったりもする。それでも、幼いながら心のどこかに、
「サンタを信じる自分でありたい」という気持ちもあって、
ずっと信じてきた。まあ、本当にいるし(笑)。

 

「サンタクロースいる・いない議論」はさておき、
サンタクロースに関しては、いろいろな思い込みを持っていた。

 

サンタクロースはこの世に一人しかいないのだと思っていた。
―120人もいるなんて…。(2013年グリーンランド国際サンタクロース協会認定)

 

地球外か別な時空にいて必要な時だけ宙からやって来るのだと思っていた。
―世界各地に支部があって、そこで普通に生活しているなんて…。

 

永遠の命を持つ、聖なる人だと思っていた。
―試験にさえ合格すれば、誰でもなれるなんて…。

 

よい子にプレゼントする時が、我々との唯一の関わりだと思っていた。
―日常的にパレードしたり、イベントに参加したりしているなんて…。

 

トナカイも、特別なトナカイさんだと思っていた。
―ごく普通のトナカイだった。しかも、あの立派なイメージのある
 オスのトナカイの角、冬には落ちてしまうのだという。
 クリスマス頃に角があるのはメスか、去勢されたオスだったなんて…。

 

うぅ。何だか、いろいろ悲しい。

 

 

夏には、衝撃度マックスのこんなニュースも見た。
『フィンランドの公認サンタが破産、観光客減で税金滞納』(2015.8.21)
これはフィンランド・ラップランド地方のロヴァニエミにある、
かの有名なサンタクロース村Santa Claus Villageの話だが、今は、
オーナーが変わったから問題ないとサンタクロースが言っていた(笑)。

 

ちなみにサンタクロースは、
「サンタクロース村から北へ300km離れたコルヴァトゥントゥリの山中で、サンタクロースの手伝いをする妖精のトントゥと一緒に住んでいる」そうだ。

 

ちょっと調べてみたら、公認サンタになるのは結構大変そう。
「結婚している事」「子供がいる事」「サンタクロースとしての活動経験がある事」「サンタクロースにふさわしい体型である事(衣装他装備込みで体重120kg以上)」
この4つの条件をクリアし、書類審査を通過すると協会から、
試験日と当日までの諸注意が書かれた書類が届く。

 

試験会場は、毎年行なわれる世界サンタクロース会議に合わせて、
真夏のデンマーク・コペンハーゲンのバッケン遊園地で開催。
サンタ候補生は自宅から会場まで、サンタクロース姿の正装で移動。
コペンハーゲン空港に到着したら、身だしなみを整え、
出身国の小旗を振りながら「にこやかに」機を降りなければならない。

 

当日の試験科目は、体力測定=「50m全力疾走」「2分以内に、梯子で煙突(高さ280cm、内幅120×120cm)に登り、煙突に潜って暖炉から這い出て、樅の木の下にプレゼントを置き、暖炉の上に置かれたクッキー6枚と牛乳568mlを完食し、再び暖炉から入って煙突から出たら、国旗を振り、はしごで煙突から降りたら、50m走ってゴールする」
これに合格した上位2名だけが、長老サンタクロースとの面接に進む事が出来る。

 

「長老達の前で、英語かデンマーク語で自己紹介」「身だしなみ・装備品の審査(自国の伝統や風習に合った衣装を自作しておく)」「宣誓文の朗読(世界会議に出席した全ての公認サンタクロースの前で誓いの言葉が書かれた古文書の全文をHoHoHoだけで全員が納得するまで朗読)」
公認サンタクロース全員の承認を得て、ようやく合格。
いやいや、国際ヴァイオリンコンクール並み。ご苦労様です!

 

知れば、「がっかりだよ」的な部分もない訳ではないが、
身近感は増したかな。
それにまた、北欧に興味が湧いてきた。

 

 

昔から、“北欧”はそばにあった。

 

最初は多分…ムーミンだ。アニメのムーミン。
♪ねぇ ムーミン こっちむいて はずかしがらないで~♪
今でも歌えるから、相当真剣に見ていたのだろう。
ただ、その内容は随分と大人っぽいものだったような気がする。
だからだろう、観終わったときいつも頭に残っていたのは、
「で、こいつら何者?」という疑問だったような気がする。

 

そして、オーロラ。今ほど情報も手軽に入らず、
世界の絶景なるものを目にする機会もなかった昔、
何かで見たオーロラの風景に、ひどく感動したのだ。
その心のざわめきは、今でも変わらず起きる。
写真を飾る習慣があまりない我が家に置かれた、
数少ない写真立ての中にあるのはオーロラの景色。

 

編み物に嵌ったときも、アイルランドのアラン模様、
シェットランドのフェアアイルを抜けて辿り着いたのが、
『北欧ニット』と呼ばれるノルディック柄の編み込みだった。

 

何年か前、久し振りに夢中になって読んだのが『ミレニアム』、
スウェーデンの作家スティーグ・ラーソンによる推理小説だ。
『ドラゴン・タトゥーの女』『火と戯れる女』『眠れる女と狂卓の騎士』から成る三部作。
映画化もされて大ヒットしたから、ご存じの向きも多いだろう。
処女小説にして絶筆作品ともなってしまったことが、残念だ。

 

原作の小説が持つ、謎めいた暗さや頽廃的な雰囲気、同様の
スウェーデン版&アメリカ版映画に共通する視覚的印象も、
いつのまにか漠として頭に棲みついた北欧のイメージのまま。
ん? 北欧のイメージ? いつの間にそんなものが。

 

考えてみれば、
最初に好きになったヴァイオリン・コンチェルトは、シベリウス。
最初に好きになったピアノ・コンチェルトは、グリーグ。

 

―シベリウス《ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品47》(1903)
ヴァイオリニストを志したことのあるシベリウスが書いた唯一のヴァイオリン協奏曲。現在一般的によく演奏されているのは1905年の改訂版。初稿初演が評価芳しくなく、1905年に聴いたブラームスのヴァイオリン協奏曲に衝撃を受け改訂作業をした。シベリウスは初稿の演奏を禁止したが、1991年に遺族の許可の下、カヴァコスの独奏オスモ・ヴァンスカ指揮のラハティ交響楽団により録音が行なわれた。

 

―グリーグ《ピアノ協奏曲イ短調作品16》(1868)
『北欧のショパン』と呼ばれたグリーグが完成させた唯一のピアノ協奏曲。25歳の時、デンマーク訪問の間に作曲されたグリーグ初期の傑作。当時無名だったグリーグが、リストにこの曲の評価を求めたところ、リストは初見で完璧に弾き、絶賛、激励したという話がある。今日よく使用される版はそのときのアドヴァイスが反映されているとか。

 

 

グリーグといえば、学生時代に出会い、
いいなぁと思ったのが、《ホルベルク組曲 Holberg Suite Op.40》。
弦楽合奏では定番なので、アマチュア業界でも引っ張りだこ、
その後、飽きるほど何度も勉強することとなってしまう訳だが、
それでもこの曲の呆れるほどの明快さ、愛らしさが今でも好きだ。

 

―組曲《ホルベアの時代から》(1885)
原曲はピアノ独奏曲(1884)だが、自身が編曲した弦楽合奏版で知られる。
「ホルベア」とは、『デンマーク文学の父』とも『北欧のモリエール』とも呼ばれる文学者であってエッセイスト、哲学者、歴史家、劇作家のルズヴィ・ホルベア(1684-1754)のこと。グリーグと同じノルウェーのベルゲンに生まれ、デンマーク=ノルウェー時代にあって主にコペンハーゲンで活躍。ホルベアの生誕地ベルゲンで、生誕200周年となる1884年に記念祭が行なわれることになり、グリーグはこの祝祭のために無伴奏男声合唱のためのカンタータと、ピアノ独奏のための組曲『ホルベアの時代から』を作曲した。

 

グリーグを勉強していると、その関係者の中に、
自分が「好きだ」と思っている人の名前が出てくるのに驚く。
例えば、ハルヴォルセン。彼が編曲した
『ヘンデル=ハルヴォルセンのパッサカリア&サラバンド』は、
ヴィオリストならば、一度は弾いてみたい素敵な曲。
で、誰だ? ハルヴォルセンって?(笑)

 

―ヨハン・ハルヴォルセン Johan Halvorsen 1864-1935
ノルウェーのヴァイオリニスト、作曲家、指揮者。グリーグより21歳若いハルヴォルセンだが、晩年までごく親しい友人関係にあった。ハルヴォルセンは1894年にグリーグの姪のアニーと結婚している。彼はノルウェーの民族楽器であるハルダンゲル・フィドル(ハルダンゲル・ヴァイオリン;ハーディングフェーレ)の奏者でもあり、ソリストとして世界で初めてオーケストラと共演した人物でもある。

 

それでも、ハルヴォルセンは同じノルウェーの作曲家だから、
そこに名前が出てきても、驚くことではないかもしれない。
でも、イギリスの作曲家ディーリアスや、あのラヴェルも出てくる。
頭の中にいつも在る彼らが、グリーグに深く傾倒していたと知れば、
素直に驚かずにはいられないし、何だか嬉しくなってしまう。

 

―フレデリック・ディーリアス Frederick Theodore Albert Delius 1862-1934
英国音楽を代表する作曲家の一人。ドイツ人を両親に英国に生まれたディーリアスは22歳で渡米させられるが、正式な音楽教育を受けたいがために1886年からドイツのライプツィヒ音楽院に進む。卒業後はパリに移住、35歳でパリ郊外のグレ=シュール=ロワン村に居を構えてからは、72歳で亡くなるまで同地で人生を過ごすこととなる。若きディーリアスはライプツィヒでグリーグに出会って多大な影響を受ける。

 

 

全く別なものだと思っていたものが、実は繋がっていたことに、
全く違うものだと思っていたものが、本当は同じ世界にあったことに、
ある日、突然、気付かされることがある。

 

十年くらい前だろうか。
アンドレ・カプレの“夢”という曲に出会った。
フルートとピアノのための曲なのだが、まさに一目惚れ。
ちゃっかりレパートリーに入れて、チャンスがあると演奏していた。
その頃はろくに勉強もせず、ただ弾くだけの日々を過ごしていた。

 

「カプレって、どんな人?」…答えられない。
まずい。調べてみると、カプレ君、
ドビュッシーの親しい友人だった。そして、
愛するラヴェルのライバルでもあった。ひゃあ。

 

―アンドレ・カプレ(もしくはキャプレ)André Caplet, 1878-1925
フランスの作曲家・指揮者。9歳でル・アーヴルのコンクールのヴァイオリン部門で優勝。12歳で歌劇場管弦楽団で演奏を始め、18歳でパリ音楽院に進む。1901年にはカンタータ『ミルラ』でローマ大賞を獲得(このときラヴェルは3位)。ボストン歌劇場管弦楽団の指揮者も務める。第一次世界大戦従軍中に毒ガスを吸って神経を冒され、胸膜炎を併発して早世した。ドビュッシーは彼に厚い信頼を寄せていて、その曲の多くの初演はカプレに任された。彼はドビュッシーの曲の補筆&編曲も行なっている。

 

一つずつ、何かが埋まっていく。
ジグソーパズルのピースが嵌るように。

 

この秋に行った『生命大躍進展』、目玉の一つが、
奇跡の霊長類化石“イーダIda (ダーウィニウス・マシラエ)”だった。
「2006年ドイツ・ハンブルクの化石見本市に今まで知られている中で最も古い、そして最も骨格が揃っている4700万年前の霊長類の化石が出品された」

―そう、この子こそ、
霊長類の進化を解明する“ミッシング・リンク”として発表されたイーダ。

 

この化石を分析したのが、ノルウェーの、
オスロ自然史博物館の古生物学者フルム氏がリーダーを務める研究チーム。
「イーダは霊長類の進化史に空いた穴を埋める重要な“ミッシングリンクmissing link”。サルや類人猿、ヒトなどの高等霊長類とキツネザルのような遠縁種の間にある進化上の空白を埋める化石である。全人類と遠縁種をつなぐ最初の“リンク”であり、直接の祖先に最も近い種であると考えられる」


自身が描く理想のヴァイオリン像、それを完成させるためのピース。

この手の中にある小さなピースは、どこに嵌るのだろう?
ドキドキする。
きっと、まだまだ欠けているピースがたくさんあるに違いない。
ちょっと不安にもなる。

 

欠けていたものが見つかったときの歓び、
それが欠けていた部分に嵌ったときの歓び、
それが嵌ったことで、何かが見えてきた時の歓び、

 

え、そうなの!という驚きが、
ああ、そうだったのか…という得心に変わり、
やがてそれは、すぅっと身体に沁み込んでいく。
そうして、また、ヴァイオリンが好きになる。

 

だから、今日もつい探してしまう。
私のイーダ。

Sibelius:Violin Concerto 
-Leonidas Kavakos 

Grieg:Holberg Suite Op. 40, Praeludium

Handel-Halvorsen
Passacaglia -Perlman&Zukerman

Grieg:Klaverkoncert

- Alice Sara Ott

Sarabande -Lomeiko&Zhislin

Delius - Sonata No. 3

© 2014 by アッコルド出版