ヴァイオリン弾きの手帖

ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃

第136回

あいつ、基礎練やってるってよ。

「やっぱり、基礎練(習)って大事ですよね?」
「そうだね」…これはよくある、やり取りだ。

 

そして、その続きは、大抵こんな感じだ。
「するとしたら、何から始めたらいいですか?
 スケールはやってるので、シュラディックとかですかね?
 セヴィシックも本当はやった方がいいんでしょう?」

 

答えはもちろん「否」ではないのだが、
こういった会話の奥底に、いつも微妙なズレを感じていて、
また、最近の傾向として、それをやっていれば大丈夫といった
一種“信仰”のようなものを、ちらちら感じることもあって、
素直に頷けない自分がいる。

 

「エチュードは、カイザーやって、クロイツェルをやったので、
 次はローデかドントですか? パガニーニはさすがに難しいので。
 あ、フィオリロもやっておいた方がいいですよね?」…うぅむ。
どこまでを基礎練習と言うべきか、これも難しい。

 

メカニカルなものにしても、テクニカルなものにしても、
とにかく基礎練習は大事だ。した方がよいに決まっている。
「基礎をやらないとケガをする」なんて言ったりもする。
軽い感じの文言だが、そこに込められた意味は重く、深い。

 

プロのヴァイオリニストは『それ』に多くの時間を費やしている。
「新曲緊急本番」とか「大曲近日本番」といった状況に置かれたり、
「相性が悪い」或いは「不安が残る」曲を演奏しなければならない、
そんなことにでもならない限り、曲ばかり練習することは余りない。

 

日頃の練習においては、多くの奏者が、
そのほとんどの時間を基礎練習に使っている、
そう言っていいだろう。(取れる練習時間にも拠るけれど)

 

スケール&アルペジオはその最たるもので、奏者それぞれ、
自分のお気に入り、すでにルーティンに組み込まれたものがあって、
練習時間ともなればそれを延々弾いていたりもする。時には何時間も。

 

 

スケール&アルペジオとの出会いは悪くなかった。
だから、あまり悪い印象はない。少し大きくなって、
初めてフレッシュを持たされたときには、さすがに溜息が出たけれど。

 

でも、セヴィシックは最初から嫌いだった。大っ嫌いだった(笑)。
初対面がop.8だから仕方ないかもしれない。(op.3だったら少し違ったかも)
ひどく難しい訳ではないが、なにしろ、つまらない、美しくない、しかも、
似たような課題が延々続く。頭の中では、それが大事らしいということは、
何となく分かってはいたが、だからといって小学生が楽しめるはずもない。

 

―オタカール・シェフチーク(Otakar Ševčík, 1852-1934)
  チェコのヴァイオリニスト、音楽教師。イザイの共演者も務めた。
  ロシア帝国音楽協会、プラハ音楽院、ウィーン音楽院などで後進を指導。
  音楽教師としてアメリカ合衆国や大英帝国などにも訪れている。
  ヤン・クベリークやコチアン、M.ホール、エリカ・モリーニら、
  多くの門弟が世界的活躍をしたため、指導者としての名を馳せることとなる。
  彼の研究書や奏法論は現在もヴァイオリン界において必携の書とされている。

 

そう、『セヴィシック』は名教師として名を残しているが、
資料の中には、「何人もの将来ある音楽性豊かな生徒をダメにした」
といった、彼の徹底した独自の指導法を否定する記述も幾つかある。
実際のレッスンがどうであったかは手元の資料から想像するしかないが、
彼が残してくれたものを見れば、彼の指導法の一端は見える。ただし、
彼を、よく見る初心者用教本だけで判断することは非常に間違っている。

 

セヴィシック等の『テクニック教本』を使う上で気を付けるべきは、
課題それぞれが、メカニカルなものなのか、テクニカルなものなのか、
きっちり区別して、使用しなければならないということだろう。

 

前者は文字通り『機械的動作』を意味し、音楽性とは関係がないもの=
例えば、指の機能性、独立性、運動性などを高めるためにだけ行なうものを言う。
基本的な訓練としては非常に重要なものだが、あくまでも、
ヴァイオリンを弾くに向いた身体を作るためのものである。

一方、音楽を表現するための技術的方法が〈テクニック〉である。


メカニックがよく訓練されていても、テクニックが(足り)ないと、
音楽性に欠ける演奏になる、なんてことが起きたりする訳である。

 

然るに、
〈テクニック〉という言葉に、
もし「無味乾燥」的イメージがあるならば、
それは、今のうちに払拭しておかなければならない。

 

望む音楽的表現を具現化するための技術獲得。
その技術を可能にするための身体能力のアップ。

 

一般的に使用されているセヴィシック教材の中にも、
テクニカルなものとメカニカルなものが混在している。
それらを理解せずに、同じ使い方をしてしまうと、
効果が出ないこともあるし、逆効果になることもある。

 

特にメカニカルなものは要注意である。右手も左手も。
メカニカル課題のやり過ぎ、弾き散らかしは、
無謀なトレーニングを、トレーナーの指導なしに行うようなものである。

 

 

こう考えていくと、基礎練習は、
「やればよい」というものではなく、
「やればやるほどよい」というものでもなく、
目的を理解せず、それをするなら、
「しない方がよい」類のものかもしれない。

 

「なんだか、難しそう…」 
いやいや、それがそうでもない。
自分の身体に聞けばよいのだから。

 

基礎練習をすることは、
自身の身体の持ち分や現時点における限界、可能性を知ることでもある。
隠れていた能力を開花させ、それを確実に自分のものにできれば、
それは応用力アップに繋がる。(読譜力&初見力もアップする!)

 

冷蔵庫にあるもので適当に食べられるものを作る力も必要だが、
予め必要な材料を調べ、買い揃え、正しい道具と確実な調理技術で、
より安定的に美味しいものを作れるようなること、それも大事。

 

手にあるもので済ますのではなく、スキルアップする。
今あるもので満足するのではなく、理想の自分を追い求める。
そういう話である。

 

 

例えば。あるボウイングテクニック獲得のための課題を、
音を正しく取ることばかり気にして練習してしまったとする。
結果的に、そのボウイングテクニックもある程度手に入るかもしれない。
だとしても、本人がそれと知らず行っている訳だから、
後にやり直さなければならない可能性が出てくる。
人世無駄なしと言えども、これは遠回りに過ぎる。

 

例えば。右手の基礎練習ではこんなことを要求されることがある。
「一定の速さで」「一定の音量で」「一定の音色で」
「一定の位置で」「一定の分量で」「一定の圧力で」
こうした〈定量(練習)〉は理解しやすく、認識しやすく、
できている・できていないも分かり易い。
そして多分、初心者には〈定量〉が一番難しい。

 

もちろん、これらの練習はコントロール力を付けるためのもの、
演奏すべてを〈定量〉で行なうこと目的とする訳ではない。
限りなくテクニカルに近い、メカニカル課題なのである。

 

そんなこと言わなくたって分かっている、バカバカしい、
そう言う人もいるだろう。でも、指導者の方々はお気付きのはずだ。
定量練習を積み重ね過ぎて、いつも同じ速さのボウイングで、
いつも弓の真ん中だけを使って、いつも似たようなテンポで、
どの曲も同じように演奏してしまう、そんな生徒さんがいることを。

 

メカニカルな感覚で練習し過ぎた故である。

 

こういった傾向が強い生徒さんは、レッスンとなると、つい、
レッスンを練習成果の発表にしてしまう。自分にも覚えがある。

 

練習と演奏は違う。それは分かっている。でも。
「先生、書いてある通りに、間違えずに弾けるようになりました!」

 

それは、“演奏”ではない。

 

「先生、どうです? 上腕二頭筋、なかなかの仕上がりでしょ?」
はぁ…『メカニック・ウィルス』の感染力は高く、治癒に時間が掛かる。

 

 

基礎練習の重要性は、誰もが知るところだ。
ルーティン化が望ましいことも。

 

だが、相談件数の多さから見ると、
実行に移すことは難しいらしい。

 

具体的に、何をすればいいのか?
教材はどれにするのか? 
どういう練習メニューにするのか?

 

そんな風に悩む前に、少しだけ、
「自分に何が必要か」を考えてみよう。
「自分に何が足りないか」を考えてみよう。

 

最初に教材ありき練習メニューありきでは、
本末転倒になってしまうから。

 

「練習時間がない(足りない)」という声を聞く。
「目の前にある曲弾くので精一杯。基礎練習なんてやっていられない」
そういう人もいるだろう。

 

照準をどこに合わせるかは、人それぞれの問題。
目の前の合奏に合わせるのか、本番に間に合わせるのか。
目の前の曲が弾けるようになればいいのか、もっとスキルアップしたいのか。
これが正解というものはない。
今、自分が何を為すべきかは、自分にしか分からない。

 

基礎練習は、その気になれば、
いつでも、どこでも、何を使ってでもできる。
課題曲や本番の曲から離れるのが怖ければ、
楽曲の一部を切り取って、それで基礎練習を行なうことだってできる。
バッハやパガニーニをエチュードとして使うことだってあるのだ。

 

その際行なう、小さなパーツへの分割、作曲家のパターンの見極め、
といった作業は『楽曲分析』にも繋がって、別な勉強になったりもする。
(ここでメカニック・ウィルスに感染してはいけないが…)

 

「継続」も毎日でなければならならないというものではない。
身体にインプットし記憶させる、配線を定着させる、
そのためには、逆に、間を開けることも必要だったりする。
週に一度でもそれが毎週なら、それでいい。

 

焦らず、怒らず、根気よく、そして、理想高く。

 

マンネリ化させることなく、
できるだけ継続的に続けられ、
持ち時間に合わせて、長くも短くもできる、
そんな基礎練習&システム、メニューを考えてみたいものだ。

 

うむ。次回の内容はそれにするかな。

Jascha Heifetz

3’50”辺りからの映像をご覧下さい。少しですが基礎練習(ウォームアップ?)の様子が見られます。ベートーヴェンやバッハをメカニックに練習しています。

© 2014 by アッコルド出版