ヴァイオリン弾きの手帖

ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃

第134回

おりとりて はらりとおもき すすきかな

Lekeu:Violin Sonata  

(亡くなる一年半前の作品)

よく見ていたドラマに、レギュラーで出演していた、
ちょっとお気に入りだった若手俳優さんが、この夏、
35歳の若さで亡くなっていたことをネットニュースで知った。

 

病気療養中だったということだが、35歳、若過ぎないか。
35歳といえば転職や妊娠…何かと限界を囁かれる年齢ではあるが、
それはつまり、心身共に充実した時期だということでもある。
働き盛り。まだまだこれからという時、唐突に、
終わりを告げられることの悔しさ、悲しさを想う。

 

『35歳の死』と聞くと、ヴァイオリン弾き的には、
モーツァルトを思い出さずにはいられない。そして、
彼の、自身の費やした時間や重ねた年を感じさせない、
年齢を超越したかのような作品群を見聞きすると、
彼にとって“齢”とは何だったのか、と考えてしまう。

 

年齢と作品。年齢と演奏。
若かった頃、諸先輩方に言われたものだ。
「まだ、あなたにブラームスは無理ね」
「やっぱり、40歳を超えないとブラームスは弾けないね」
その台詞ばかりは、なぜか妙に納得したものである。

 

書いた作品に納得いかなければ悉く破棄、そんなブラームスが、
少なくとも3曲のソナタを試作した後、満を持して発表した、
《ヴァイオリンソナタ第1番ト長調『雨の歌』作品78》、これは
なんとブラームス46歳の時の作品、第2番、第3番に至っては、
その7年後の53歳の頃に書かれた、熟成古酒の如き楽曲である。

 

「じゃあ、二十歳の『ペーペー』じゃ弾けなくても仕方ないか」
なんて、お墨付きを貰った気分で、のんびり構えていたが、
気付くと疾うに、ブラームスの当時の年齢を越えている。まずい。

 

64歳でその生涯を閉じたブラームス。ふと、思う。
その晩年は、どうだったであろうと? 重ねて、思う。
35歳のブラームスはどんな曲を書いていたのだろう?と。

 

 

そう、時折『晩年の作品』といった言い方を耳にする。
「一生の終わりに近い時期の作品」という意味で使われる訳だが、
「年老いてからの時期の」というイメージも強いものだから、
実は「モーツァルト晩年の作品=30代の作品」だったなんて知ると、
『晩年』という言葉が、頭の中でぶらりんと宙に浮いてしまう。
ましてや、それが20代の作品だったら…。

 

ギョーム・ルクー 1870年1月20日-1894年1月21日 享年24歳
セザール・フランクの最後の弟子として将来を嘱望されたが、
腸チフスに罹り、24歳で死亡。彼の曲を聴いたイザイは、
《ヴァイオリンソナタ》の作曲を委嘱、献呈され、初演も行っていた。
ようやく走り始めた矢先の病、自身「晩年を迎えた」という自覚なく、
当然のことながら、死の覚悟なく書かれた “生”に満ち満ちた楽曲、
そこにある輝かしい若さが、そして、若いが故の苦々しさが、
演奏する者には、時に痛みとなって押し寄せてくる。

 

シューベルト 1797年1月31日-1828年11月19日 享年31歳
1826年から体調不良に襲われ始めたシューベルトだが、この頃から彼は、
まるで残された時間を知っていたかのように、多くの傑作を生み出している。
希望と不安に移ろう心が美しい光と影を生み出し、その煌めく色彩と陰影が、
これから生きようとする者に、命の素晴らしさを説いているようにも聴こえる。
死の2ヵ月前に完成した《弦楽五重奏曲 D956)》は、そういう曲である。
哀しいかな、本人はこの曲を聴いていない。初演はなんと1850年である。

 

モーツァルト 1756年1月27日-1791年12月5日 享年35歳
我々ヴァイオリン弾きが知るべき、モーツァルトの『晩年』の作品は、
《弦楽五重奏曲 変ホ長調K.614》だろうか。そうして、
外してはならない《レクイエム》。これらの曲は例えばこう解説される―
「晩年特有の洗練された美しさを持つ」と。心の底で小さく言い換えてみる。
「35歳のモーツァルト特有の」と。何が変わる訳ではないのに心象が変わる。

 

ビゼー 1838年10月25日-1875年6月3日 享年37歳
サラサーテやワックスマンの《カルメン幻想曲》で、
ヴァイオリン弾きにも身近なビゼーであるが、彼も早逝している。
オペラの作曲家としての成功を夢見ていた。その夢が叶わんと、
確たるものにならんとしていた時期の死去。死の3ヵ月前に、
パリで行われたあの不滅の傑作『カルメン』の初演は…不評だった。

 

ああ、でも、なぜだろう? これらの曲が、
間近に神の誘いを受けた者だけが手にすることができる、
崇高なまでの純粋な美しさを持っているようにも聴こえるのは。
夭逝の作曲家たちの『晩年』の作品。

 

 

演奏家に比べ、それに必要な能力とそれを学ぶシステムからか、
若干、踏み出しの遅い感もある作曲家だが、(超天才児達はさておき) 
35歳の彼らはどんな曲を書いていたのだろう? 改めて、気になる。

 

ヴァイオリン曲で有名なのは、まずは直球ど真ん中、
J.S.バッハ 1685年3月31日-1750年7月28日 享年65歳
《無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータBWV1001-1006》
35歳といえば、ケーテン時代。長年連れ添った妻を失いもするが、
すぐ良き伴侶を得、音楽好きの君主の下、恵まれた環境にあって、
その役職はもちろん。器楽曲作曲家として、そして教育者としても、
遺憾なく実力を発揮していた、そんな時代の作品。

 

パガニーニ 1782年10月27日-1840年5月27日 享年58歳
《ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調 作品6》 
35歳の頃に書かれたらしい。ちなみに《24の奇想曲》は、
1800年~1810年に作曲された、若きパガニーニの作品である。
彼の曲もあまり「齢」を感じさせない。時間超越組か?

 

メンデルスゾーン 1809年2月3日-1847年11月4日 享年38歳
《ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64》 
敬愛するヴァイオリニスト、F.ダヴィットのために、
筆の早い彼が、6年もの歳月をかけて完成させたこの曲、
余りにも演奏され過ぎて、供給側は食傷気味なところもあるが、
名曲であることは間違いない。新鮮な気持ちで聴きたい…。

 

チャイコフスキー 1840年5月7日-1893年11月6日 享年53歳
1875年(35歳)は、かのメック夫人からの資金援助が始まる前年にあたる。
代表作は何と言っても《ピアノ協奏曲第1番 作品23》だろうが、
ヴァイオリン弾きとしては《憂鬱なセレナード 作品26》を挙げたい。
レオポルト・アウアーの依頼で作曲された曲だ。泣ける…。

 

4大ヴァイオリン協奏曲の残り、参考までに。
ベートーヴェン《ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61》、36歳(1806)
ブラームス《ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77》、45歳(1878)
チャイコフスキー《ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35》、38歳(1878)
ついでに、
シベリウス《ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47》、38歳(1903)

 

う~ん。三十代の底力。

 

 

30代半ばの室内楽作品も充実している。

 

フォーレ 1845年5月12日-1924年11月4日 享年79歳
《ピアノ四重奏曲第1番ハ短調作品15》、34歳(1879)
翌1880年2月14日に初演され、ヴァイオリンソナタ第1番に続き、
成功を収めたが、第4楽章はその後3年掛けて書き直されている。

 

ドヴォルザーク 1841年9月8日-1904年5月1日 享年63歳
《弦楽五重奏曲第2番ト長調作品77》、35歳 (1876)
音楽家として栄光の第一歩を踏み出すのは翌年。曲も若く可愛らしい。

 

グリーグ 1843年6月15日-1907年9月4日 享年64歳
《弦楽四重奏曲第1番ト短調作品27》、35歳(1877-78)
「静寂と精神集中を求めてフィヨルド沿いの寒村の小屋で孤独な生活を始めた直後の作品」…その地はベルゲン東方のハルダンゲル地方である。

 

バルトーク 1881年3月25日-1945年9月26日 享年64歳
《弦楽四重奏曲第2番作品17 Sz.67》34~36歳(1914-16)
バルトーク独自の世界が打ち出され、未来をも予感させる曲。

 

ショスタコーヴィチ 1906年9月25日-1975年8月9日 享年69歳
《ピアノ五重奏曲ト短調作品57》、34歳(1940)
翌年、スターリン賞を受賞。20世紀室内楽を代表する作品とも。

 

こうして、同じ年頃に書かれた室内楽を並べて聴くと、
漠としてではあるが、何か共通するものがあるように思える。
人それぞれ、齢の重ね方があるものだが、
その年代ならではの人間としての“生”が滲み出るのだろうか?
室内楽作品にはその年齢の特徴が強く表出している気がする。

 

35歳のサン=サーンスは、普仏戦争に翻弄されていた。
35歳のフランクはまだオルガニストで、「作曲家」ではなかった。
35歳の「私」は…。35歳の「あなた」は…。

 

 

モーツァルトが亡くなる3年前に、親しい友人に書いた手紙。
「ヨーロッパ中の宮廷を周遊していた小さな男の子だった頃から、ぼくは(特別な才能の持ち主だと)同じことを言われ続けています。目隠しをして演奏をさせられたこともありますし、ありとあらゆる試験をやらされました。こうしたことは、長い時間かけて練習すれば、簡単にできるようになります。ぼくが幸運に恵まれていることは認めますが、作曲はまるっきり別の問題です。長年にわたって、ぼくほど作曲に長い時間と膨大な思考を注いできた人は他に一人もいません。有名な巨匠の作品は、すべて念入りに研究しました。作曲家であるということは、精力的な思考と何時間にも及ぶ努力を意味するのです」

(『素顔のモーツァルト』ドノヴァン・ビクスレー著)

 

「精力的な思考と何時間にも及ぶ努力」そう語る、
32歳のモーツァルト。確かに、弦楽四重奏一つとっても、
分析すれば、そこには緻密な計算と針一本落とさぬ心配りがある。

 

費やした労力をそれと感じさせぬように、
心身に溜まった澱を浄化させる能力が、
そこにある時間をないものであるかのように、
単なる時間を芸術へと昇華させる能力が、
彼にはあった、そういうことなのだろうか。

 

かのブラームス、彼が35歳の年に完成させたのは、
《ドイツ・レクイエム 作品45》。これが30代の作品かぁ。
モーツァルトは、『永遠の子供』と言われたりもするが、
ブラームスは『いつも大人、ずっと大人』のイメージだ。

 

そう言えば、ストレートに晩年の思いを伝える曲がある。
瀧 廉太郎のピアノ曲《憾(うらみ)》。
ライプツィヒ音楽院に留学した瀧だが、2か月後に肺結核を発病、
帰国を余儀なくされ療養生活を送るが1903年自宅で死去。
享年23歳。その死の4か月前に 死期を悟った上で書かれた曲。
「憾」は「恨み」ではなく心残りや未練、無念といった気持ちのこと。

 

彼のダブルスコアを越える人世を生きてきた。
その時が来れば、多少の「憾み」は残るだろう。ただ、
「恨み」だけは残さず逝こうと、残さず逝ける生き方をしようと、
彼の曲を聴きながら、少しだけ真面目に考える秋深い一日である。

 

Schubert:String Quintet in C Major 

(亡くなる2か月前の作品)

Mozart:String Quintet in E-flat, K. 614 

(亡くなる8か月前の作品)

Mendelssohn:Concerto in E minor 

Tchaikovsky:Serenade Melancolique Op 26.

Fauré:Piano Quartet No. 1 in C minor, op. 15

Dvorak:String quintet op. 77

Brahms: Ein Deutsches Requiem

滝廉太郎:『憾』

Bartok:String quartet No.2- Ⅱ

Grieg:String Quartet No. 1 in G Minor, Op. 27

Shostakovich:Piano Quintet Opus 57

© 2014 by アッコルド出版