ヴァイオリン弾きの手帖

ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃

第130回

ソナタという関係

ヴァイオリン・ソナタ、

こんな感じで変わっていきます。
Mozart : Sonata K. 6(1762-64 6-8歳) 

Mozart:Sonata K. 454(1784 28歳)

- Oistrakh

Beethoven:Sonata No.1(1798 28歳)

- Menuhin

ヴァイオリンとピアノ、どんな関係?
Faust Plays Franck

Mutter Plays Brahms No. 2

ふと思い立って、
仲良しの、でも、我が業界には疎い友人に聞いてみた。
「ヴァイオリン・ソナタって、知ってる?」

 

いつもなら、この手の話に困惑した表情を見せる彼女が、
パァッと顔を輝かせて、知ってる!知ってる!と嬉しそうに言う。
「ヴァイオリンとピアノで演奏する長い曲のことでしょう!」ううむ。
「あの、いかにも『芸術作品です』って感じの」 う、ううむ。

 

これは正解と言うべきか、不正解というべきか。
ヴァイオリン・ソナタに見られる楽曲の“傾向”、
“一般的認識”と考えれば、決して彼女の答えは間違ってはいない。
いや、もしかすると非常によい答えかもしれない。でもなぁ。

 

目をキラキラさせて、正解コールを待っている彼女を前に、
余計なことを聞くんじゃなかったと深く、深く後悔した。
で、どうしたかって? 「まあ、そんな感じだね」と、
笑顔で誤魔化し、取り敢えず逃げを打つことに…。

 

ただ、話はそこでは終わらなかった。彼女が言うのだ。
「なんか、ピアノも難しそうだし、大変だよねぇ」
弾くのが大変そう、そういうことだろうと思って話をしていると、
どうも違うらしい。彼女の意見はこうだった。
「付き合わされるピアニストも大変だよねぇ」…あちゃぁ。

 

挙句に、こう言う。
「え? ヴァイオリン弾く人の方が偉いんじゃないの?」

 

思わず、どうしてそう思うのか、聞いてみた。
「だって」…彼女は矢継ぎ早に理由を述べる。
いつも、
「ヴァイオリンが前にいて、ピアノは後ろにいるし」
「ヴァイオリンの人は立ってて、ピアノの人は座ってるし」
「ピアノの人はヴァイオリンの人を見てるけど、ヴァイオリンの人はピアノの人を見ないでしょう」
「出てくる時も、ヴァイオリンの人が先でピアノの人が後だし」
「挨拶する時も、ピアノの人はヴァイオリンの人に合わせてない?」

 

なので、「どう見ても、上下関係ハッキリしてる」と。
なるほど。

 

 

いや、なるほどじゃない。ここだけは正しておきたい。
音楽の世界に、偉い偉くないなんて“上下関係”はない。
(え? ある? 指揮者が偉いとか? 1st ヴァイオリンが偉いとか? 笑)

 

案の定、彼女はこうも思っていた。
小品も、ソナタも、(ピアノ伴奏で弾く)協奏曲も、
全部、ピアノは『伴奏』だと。「引き立て役だと思ってた~」
「ソナタ以外は、確かにピアノに『伴奏』してもらってる訳だけど…」
「ソナタは違うの?『伴奏』じゃなかったら何?」
…ああ、結局、そこに戻ってきた。

 

“伴奏accompaniment”―音楽辞典での説明はこう始まる。
「旋律進行を担う主要声部以外の音で、主要声部に従属し、旋律の拍子や和声構造を明瞭にするすべての音をいう。伴奏は響き、リズム、異なった個性をもつ声部の総合である」
分かるような、分からないような…。その説明はこの後も延々続く。

 

こちらの方が、分かりやすいだろうか。
「伴奏は、主に西洋音楽で使われる音楽用語で、主たる旋律を演奏する単数または複数の歌手または奏者に対し、副次的な演奏をすることをいう」
ちなみに『副次的』とは、「主たるものや本来的なものに付随した、あるいは従属した関係にあるさま。二次的」
何だろう? 少しだけ引っ掛かるものがある。

 

「中世の多声音楽では、それぞれの声部に旋律と伴奏といった意味では質の差がない」
これは、分かる。
「ルネサンス末期からバロック時代に掛けて、新しい伴奏構造が誕生、それを具体的な形で示したのが“通奏低音”である」「それ以来、伴奏は音楽の構成要件となった」
これも、分かる。
しかし、古典派の時代に入ると話が少し難しくなってくる。
「伴奏声部は独自の個性を与えられ、主要声部と伴奏声部との関係は、さらにダイナミックで変化に富んだものになった」
曰く、「伴奏声部がソロと対話を交わすようになる」と。

 

そして、締めの一文がこれだ。
「伴奏声部を従属的、付加的なものとせず、楽曲に不可欠な構成要素と考える傾向は、20世紀にも引き継がれた。それと同時に、主要声部と伴奏声部を区別すること自体への疑問も投げ掛けられるようになっている」

 

 

なぜ、こんな話をしているのか。それは先週のこと、
ピアノ合わせが終わった後、ピアニストが溜息交じりに言ったのだ。
「今度ヴァイオリンの発表会のお手伝いで、ソナタを幾つか弾くことになったんですけど、これが結構大変で…」
そうかぁ、それは確かに大変だ。
どうしてって?
だって、“ヴァイオリン・ソナタ”のピアノって難しいんだよ~。

 

まずは、バロック時代のヴァイオリン・ソナタの場合。
これは、「トリオ・ソナタから派生した独奏ソナタで、独奏ヴァイオリンが旋律を奏し、それに通奏低音の簡単な伴奏がつくもの」

 

初期から中期にかけてのヴァイオリン教本には、
この時代のソナタが、課題としてよく採り上げられている。例えば、
ヴィヴァルディ、ヴェラチーニ、エックレス、ヘンデル、ルクレール…。
これらのヴァイオリン・パートは、それなりの演奏技術が必要で、
聞かせどころも満載、だが、ピアノと合わせるのはそれほど難しくない。

 

では、ピアノの何が難しいのかといえば、
その多くに「正解」のピアノ譜がない、ということ。
元々の通奏低音用の楽譜、そこに書かれているのは、
低音部の旋律とそれに付記された数字のみ、
当時の奏者はそれを見て、適切な和音を弾いていた。

 

だから、今、手元にある『伴奏譜』は、誰かが書き起こしたもので、
絶対ではない。楽譜によっては、
物足りないものもある。違うと感じるものもある。
既存の楽譜に納得のいかないピアニストは、自身で研究し、
足したり削ったり、書き直したりの作業をすることになる。それは、
協奏曲のオーケストラ部分をピアノ・アレンジするに等しい難しさ?

 

かと思えば、モーツァルトの初期のヴァイオリン・ソナタのような、
「ヴァイオリン助奏(オブリガート)付きピアノ・ソナタ」なるものもある。
「ヴァイオリン伴奏付き」「ヴァイオリン声部付き」と書いてあるものもある。
要するに、これらは本来、ピアノが主役なのだ。

 

ピアニストは悩む。―「ヴァイオリンの発表会で私ばかり目立っていいのかしら」
ピアノがメインなのだから、それでいいのだけれど…。
しかも、こういった曲を実際に弾いてみると、見た目の安易さに反して、
演奏するのも、合わせるのも難しい。危険な楽曲だ。

 

そして、時代と共に、ヴァイオリンへの要求度は高くなる。
ベートーヴェンという『時代』を経て、ロマン派の時代になると、
女王様的ソリスティックさは、主に協奏曲で発揮することになり、
“ソナタ”のヴァイオリンとピアノには、また別なもの
=技術的対等さや音楽的対話を求められるようになる。

 

独奏楽器同士が、それぞれの技術を駆使し、
互いの魅力を競い合い、引き出し合い、高め合い、
ときには溶け、ときには反発し、ときに寄り添い、

 

とにかく、曲によって差はあるとはいうものの、
ソナタのピアノ・パートは、技術的に相当難しいものがある。
プロ・ピアニストにだって片手間に練習できるものでもなく、
真剣に時間を掛けて勉強し、練習して、最後の最後に、
合わせるどころか、弾くのが精一杯の生徒さんと、
「何とかして下さい」状態で、一緒に演奏させられるとなると、
それはもう、まさに「付き合わされて、可哀想」かもしれない。

 

それやこれやの理由で、音楽家の卵たちも、
普段の個人レッスンでは、あまりソナタを採り上げない。
ソナタを勉強したいときには、『室内楽のレッスン』として、
ピアニスト込みでのレッスンという形を採ることが多い。

 

発表会でソナタを課題にする時には、
先生にも、生徒にも、ピアニストにも、
それぞれ、それなりの覚悟が要る、ということだろうか。
挑戦するだけの価値は、十分あるのだけれど。

 

そういう意味では、小品や協奏曲のような、
互いの関係がハッキリしているものの方が、
ピアニストは楽だ、という話。

 

 

そう、一口に『ヴァイオリン・ソナタ』と言っても
いろいろある、と。概ね、時代的なものではあるが。

 

ヴァイオリン・ソナタ。
辞書的に言うと、「ヴァイオリンとピアノ(稀にギターなど他の楽器)のための二重奏の演奏形態によるソナタ」となる。
ちなみに、ヴァイオリン単独によるものは『無伴奏ヴァイオリン・ソナタ』と呼ばれる。

 

作曲者自身が書いたタイトルの多くには、こう書かれている。
―《ヴァイオリンとピアノのためのソナタ》

 

なんてことだ! 『ヴァイオリン・ソナタ』は省略形か!
本当に“名称”にはいつも泣かされる。
それで、イメージができたりするのだから、困ったものだ。

 

ヴァイオリン・ソナタの変遷は、
作曲者一人当たりの、ソナタの作曲数にも変化を与えた。

 

バロック時代は『ソナタ集』といった形で発表されるなど、
ある程度の数が作曲されることが多く、その傾向は、
モーツァルト(40曲を越える)やベートーヴェン(10曲)まで続く。

 

これが、ロマン派以降、グッとその数が減る。
大体、みな片手に収まる数。レーガーの9曲が光って見える。
書かない作曲家もいれば、一曲だけという作曲家も少なくない。
作曲家も趣味で作曲している訳じゃない。時代的な、
需要と供給の問題が大きく影響しているのは間違いない。

 

それでも全体としては、一生掛けて弾き切れるかという数ある。
シューマン、フランク、ブラームス、サン=サーンス、フォーレ、グリーグ、リヒャルト・シュトラウス、ドビュッシー、レーガー、ラヴェル、バルトーク、エネスク、プロコフィエフ、プーランク、ショスタコーヴィチ…。
まだまだ、こんなもんじゃない。
「○○のソナタ、抜いたでしょ!」と叱られそうなほどに。

 

とにもかくにも、
『ヴァイオリン・ソナタ』という名称に囚われて、
どれもこれも、同じスタンスで弾くのはまずいということ。
これを、肝に銘じなければ。

 

 

パートナーとの関係。伴奏者との関係。

 

いつの頃からか、『伴奏』という語彙に、
「従属」というイメージが付き纏うようになった。

 

『伴う』という語の意味は、
「一緒に付いて行く」「一緒に連れて行く」「一緒に行動する」
かの明解国語辞典にはこうも書いてある。
「表裏一体の関係で存在する」いいねぇ。

 

伴奏者は、単に「従属」している訳ではない。
言ってみれば、
ぼんくら主人に仕える、できた執事のような存在?
仕事を代わりにこなしてしまう腹心の部下、ではなく。
執事としての自分の仕事を淡々と、完璧にこなすだけでなく、
できない主人を、できる主人に見せることのできる、
絶対にいてくれなくては困る、スーパー執事。


かの友人は言う。
「私たちには二人が互いにどういう立場にあるかなんて関係ないよ。聞いてて楽しければいいんだ」

 

そうだよね。
でも、だからこそ、弾き手は、
聴き手に楽しんでもらうために、
最大限の努力をしなくちゃいけない。

 

舞台の上に、たった二人。
その相手との関係を考えないなんて、あり得ない。
関係が対等であれば更に、世界はまた大きく広がる。

 

幼馴染、学生時代からの親友、知り合ったばかりの同期、
出会ったばかりの男女、恋する二人、長年寄り添った夫婦、
ときには静かに語らい、ときには声を荒げて喧嘩をし、
ときには共に泣き、ときには励まし合い、

 

演奏するのは、
キミとボクのためのソナタ。

Kremer Plays Prokofiev No.2

ソナタを弾いているとき、伴奏を弾いているとき、
トリフォノフ氏の演奏で、その違いをご堪能ください!
Piano - Daniil Trifonov
Violin - Leonidas Kavakos

 

Strauss:Violin Sonata Op. 18 

Beethoven:Sonata No.9(1803 33歳)

-Kogan

Repin Plays Debussy

Kreisler:Liebesleid

ちなみにソロのときはこんな感じ
Liszt:Transcendental Études 

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